ノリッジ画派(読み)ノリッジがは(英語表記)Norwich School

改訂新版 世界大百科事典 「ノリッジ画派」の意味・わかりやすい解説

ノリッジ画派 (ノリッジがは)
Norwich School

19世紀初期のイギリスの地方画派。1803年2月,イースト・アングリア地方ノーフォーク州ノリッジの風景画家クロームの家で,絵画,建築,彫刻の進歩向上をはかることを目的として〈ノリッジ美術家協会〉が結成され,05-25年の間毎年展覧会を開催した。07年,この派のもう一人の代表的画家コットマンが加入し,協会の活動はクロームの死(1821)を経,コットマンのロンドン移住(1834)まで継続した。この画派の活動はほとんど風景画に限られていたが,17世紀オランダの風景画に倣った自然観察と素朴な感情を軸とするその傾向は,古典主義的ないわゆる理想主義的風景画の伝統の根強かったイギリスにおいて,J.コンスタブルやJ.M.W.ターナーの自然的風景画への方向づけの役割を果たした。ノリッジ画派は,地方画派,すなわち一地方に一定の期間にある程度共通の分野と傾向をもつ一群の芸術家が輩出するという現象の,イギリス美術史上唯一の実例である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のノリッジ画派の言及

【クローム】より

…看板絵かきの徒弟として出発するが,1790年ころ,イギリスとオランダの風景画の収集家,ハーベイThomas Harvey of Cattonと知り合い,風景画に目を開かれる。1803年,故郷ノーフォーク州ノリッジで〈ノリッジ美術家協会〉を設立,イースト・アングリア地方の風景をオランダ17世紀風景画の影響の下に写実的に描くノリッジ画派の主導者となる。M.ホッベマ,R.ウィルソン,T.ゲーンズバラらの作品に学び,細部を省略した,光や影や色彩の表現のすべてを律する統一的な意図の存在を感じさせる様式で,身近な自然を描いた。…

※「ノリッジ画派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android