クローム(読み)くろーむ(その他表記)John Crome

関連語 名詞

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クローム」の意味・わかりやすい解説

クローム
くろーむ
John Crome
(1768―1821)

イギリスの画家。同名の子John Berney Crome(1794―1842)と区別して「老クローム」ともいう。貧しい織工の子としてノリッジに生まれ、独学ウィルソンゲーンズバラオランダ派の画(え)を学び、中学校で教師をしながら風景画に専念し、比較的早く地方的名声を得た。1803年、ノーフォーク地方の風景画家を集め、互いに研鑽(けんさん)し、ノリッジ美術家協会を設立する。これがノリッジ派である。イギリス東部のイースト・アングリア(ノーフォークとサフォーク)はかなり遅くまでイングランドで独立状態にあり交易によりオランダと密接に結び付いていたため、オランダやフランドルの画が親しまれていたという状況があった。彼はほとんどロンドンに出ることなく、ノリッジにとどまって、穏やかな雰囲気をもつ作品を描いた。

[岡本謙次郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「クローム」の意味・わかりやすい解説

クローム
John Crome
生没年:1768-1821

イギリスの画家。看板絵かきの徒弟として出発するが,1790年ころ,イギリスとオランダの風景画の収集家,ハーベイThomas Harvey of Cattonと知り合い,風景画に目を開かれる。1803年,故郷ノーフォーク州ノリッジで〈ノリッジ美術家協会〉を設立,イースト・アングリア地方の風景をオランダ17世紀風景画の影響の下に写実的に描くノリッジ画派の主導者となる。M.ホッベマ,R.ウィルソン,T.ゲーンズバラらの作品に学び,細部を省略した,光や影や色彩の表現のすべてを律する統一的な意図の存在を感じさせる様式で,身近な自然を描いた。息子のジョン・バーネーJohn Bernay Cromeも,同じノリッジ画派の画家で,息子と区別するため,〈オールド(老)・クローム〉とも呼ばれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クローム」の意味・わかりやすい解説

クローム
Crome, John

[生]1768.12.22. ノリッジ
[没]1821.4.22. ノリッジ
18世紀イギリスのノリッジ派の代表的風景画家。少年時代,看板かきの徒弟となり,20歳のとき版画家 R.ラドブルックの弟子となる。その後富裕な収集家 T.ハーベイの庇護を受け,彼の収集品の模写を許される。 1803年ノリッジ派を形成,08年その会長に選出された。主要作品は『イエイアーの沼地の月の出』 (1808~10,ロンドン,ナショナル・ギャラリー) ,『マウスホールド・ヒース』 (15,ビクトリア・アンド・アルバート美術館) ,『ポーリングランドの樫の木』 (17~21,ロンドン,ナショナル・ギャラリー) 。彼の息子ジョン・ベルネー・クローム (1794~1842) も風景画家として知られ,父をオールド・クロームと称して区別した。

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世界大百科事典(旧版)内のクロームの言及

【ノリッジ画派】より

…19世紀初期のイギリスの地方画派。1803年2月,イースト・アングリア地方ノーフォーク州ノリッジの風景画家クロームの家で,絵画,建築,彫刻の進歩向上をはかることを目的として〈ノリッジ美術家協会〉が結成され,05‐25年の間毎年展覧会を開催した。07年,この派のもう一人の代表的画家コットマンが加入し,協会の活動はクロームの死(1821)を経,コットマンのロンドン移住(1834)まで継続した。…

※「クローム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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