ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説 パルマ=ピアチェンツァ公国パルマ=ピアチェンツァこうこくDucato di Parma e Piacenza 16世紀から 19世紀中葉まで中部イタリアにあった公国。教皇パウルス3世が息子のピエル・ルイジ・ファルネーゼのために 1545年に建国。 1731年ファルネーゼ家の男子相続人が絶えると,エリザベッタ・ファルネーゼ (イサベル・ファルネセ ) のとつぎ先であるスペイン・ブルボン家が公国の相続権を得た。ナポレオン体制期にはフランスに併合されて一時消滅したが,ウィーン会議で再興が認められ,ナポレオン1世の妻だったオーストリア皇帝フランツ1世の娘マリア・ルイザ (マリ・ルイーズ ) に統治権がゆだねられた。 1847年の彼女の死により,再びスペイン・ブルボン家が支配権を得たが,イタリアの国家統一が進行していた 60年3月に住民投票に基づいてサルジニア王国への併合が決定され,公国の歴史は終った。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by