パルラー家 (パルラーけ)
14世紀ドイツの建築家一族。ケルン,シュウェービッシュ・グミュントSchwäbisch Gmünd,ウルム,レーゲンスブルク,プラハ,フライブルク,ニュルンベルク等で活躍し,当時のドイツの建築・彫刻に大きな影響を与えた。一族の最初ハインリヒ・フォン・グミュントHeinrich von Gmünd(生没年不詳)は,ドイツ末期ゴシック建築のはじまりをしるすシュウェービッシュ・グミュントの聖十字架教会(ハイリヒクロイツキルヘ)の等高式内陣(1351着工)を造営した。その子ペーターPeter Parler(1330-99)は,ドイツ皇帝カール4世に招聘されてプラハへ赴き,大聖堂やカール橋の建設に携わる。彫刻をも制作し,大聖堂のみずからの墓碑や胸像群(1365-85)は,リアリズムの勃興として注目される。ペーターの息子ウェンツェルWenzel P.とヨハンJohann P.も建築家となり,プラハで父を助けた。さらに,ニュルンベルクのゼバルドゥス教会の東内陣を建築した(1361-72)ハインリヒHeinrich P.は,ペーターの兄弟であったとされる。
執筆者:勝 國興
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のパルラー家の言及
【詩と詩論】より
…31年12月までに14冊(他に別冊1冊)を刊行,32年3月からは《文学》と改題して6冊(他に別冊1冊)を出し,33年6月に終刊。当時の芸術派の新進詩人を広く集め,安西冬衛,上田敏雄,北川冬彦,近藤東,滝口武士,竹中郁,春山行夫,三好達治,西脇順三郎,吉田一穂,滝口修造らの詩人が,時代の先端を行く新鮮で活発な詩作活動を展開した。同誌上に発表された作品には,短詩・新散文詩,フォルマリスムの詩,シュルレアリスムの詩,シネ・ポエムなど,多様な詩風・傾向が含まれているが,全体として見ると,エスプリ・ヌーボー(フランス語で新精神の意)とポエジーの純化を唱えた編集者春山の意図どおりに,詩法探求への意欲,実験的姿勢と反写実主義的態度,イメージとフォルムの重視,機知的感覚とドライな知性による造型志向などで共通し,モダニズムの詩風を詩壇に定着させる役割を果たした。…
【セルパン】より
…定価10銭の廉価で新風を呼んだ。当初は福田清人が編集にあたり,堀口大学,萩原朔太郎らの作品を多く掲載したが,のち35年に春山行夫が編集を担当してからは海外の作家を積極的に紹介した。エレンブルグ,A.ハクスリー,コクトー,マルロー,サルトル,カフカらを日本の読者に親しいものとした功績は大きい。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」