改訂新版 世界大百科事典 「パルラー家」の意味・わかりやすい解説
パルラー家 (パルラーけ)
14世紀ドイツの建築家一族。ケルン,シュウェービッシュ・グミュントSchwäbisch Gmünd,ウルム,レーゲンスブルク,プラハ,フライブルク,ニュルンベルク等で活躍し,当時のドイツの建築・彫刻に大きな影響を与えた。一族の最初ハインリヒ・フォン・グミュントHeinrich von Gmünd(生没年不詳)は,ドイツ末期ゴシック建築のはじまりをしるすシュウェービッシュ・グミュントの聖十字架教会(ハイリヒクロイツキルヘ)の等高式内陣(1351着工)を造営した。その子ペーターPeter Parler(1330-99)は,ドイツ皇帝カール4世に招聘されてプラハへ赴き,大聖堂やカール橋の建設に携わる。彫刻をも制作し,大聖堂のみずからの墓碑や胸像群(1365-85)は,リアリズムの勃興として注目される。ペーターの息子ウェンツェルWenzel P.とヨハンJohann P.も建築家となり,プラハで父を助けた。さらに,ニュルンベルクのゼバルドゥス教会の東内陣を建築した(1361-72)ハインリヒHeinrich P.は,ペーターの兄弟であったとされる。
執筆者:勝 國興
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報