ニュルンベルク(読み)にゅるんべるく(英語表記)Nürnberg

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニュルンベルク」の意味・わかりやすい解説

ニュルンベルク
にゅるんべるく
Nürnberg

ドイツ南東部、バイエルン州の都市。ペグニッツ川の両岸に発達する。人口49万3400(2002)で、州都ミュンヘンに次ぐ同州第二の都市。また南ドイツ有数の工業都市で、伝統のある金属工業のほか、機械、精密機械、光学・電気製品、玩具(がんぐ)、文具などの製造が盛んである。工業・住宅地区が周辺に拡大し、エルランゲンフュルトとともに一つの経済空間を形成している。神聖ローマの帝国都市であったため、中心市街城壁で囲まれ、再建された城(11~16世紀)や聖ローレンツ教会(14~15世紀)など、歴史的建造物が保存されている。また、この地で活躍した詩人ザックス、画家デューラー、彫刻家クラフトや、世界最初の地球儀をつくったベハイムらのゆかりの名所・旧跡も多い。大学、師範大学、造形美術アカデミー、応用技術アカデミーなどがあり、文化の中心地ともなっている。

[石井英也]

歴史

11世紀前半、神聖ローマ皇帝コンラート2世が王宮を開いたのが発展の始まりで、帝国貨幣鋳造所の設置と市場開設権の賦与(1062)、関税徴収所の設置(1112)など、着々と都市の機能を整えていった。1219年皇帝フリードリヒ2世の特許状により、帝国都市として貨幣鋳造、関税の徴収などの大幅な特権が確認された。カール4世の「金印勅書」(1356)により、新たに選出される歴代の神聖ローマ皇帝は最初の帝国会議ニュルンベルクで開催すべきことが規定され、政治的にも重要な都市となった。中世末・近世初頭の南ドイツの経済的繁栄期、いわゆるフッガー家の時代(15、16世紀)には、アウクスブルクと並んで重要な役割を演じ、ザックスやデューラーらもこの時期に活躍した。三十年戦争(1618~48)以降、経済的には下り坂になるが、19世紀以降、工業都市として再生する。ナチス時代、この地で毎年党大会が開かれ、その関係で第二次世界大戦後の戦争犯罪人に対する国際軍事裁判がここでなされた。

[平城照介]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニュルンベルク」の意味・わかりやすい解説

ニュルンベルク
Nürnberg

ドイツ南東部,バイエルン州の都市。ミュンヘンの北北西約 150km,ペグニッツ川 (フュルトでレドニッツ川と合流し,レグニッツ川になってマイン川に注ぐ) 沿いに位置する。 1050年頃神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世バイエルン公 (在位 1039~56) により,川を見おろす高台に築かれた城塞が町の起源。 1219年に都市権を獲得,その後,帝国直轄都市となりライン都市同盟に加わった。通商路上の要地にあり,1332年には 72の地方と免税で交易できる権利を獲得し,14世紀中には中部ヨーロッパの重要な都市のほとんど全部と商業契約を結んで,ドイツ有数の商工業都市としての地位を確立。宗教改革期にはプロテスタント側に立ち,17世紀初頭には経済的にも文化的にも最盛期に達したが,その後は三十年戦争などの影響や通商路の陸から海への変更などのため衰退,1806年にはバイエルン領となった。 35年にはフュルトとの間にドイツ最初の鉄道が開通。その後は鉄鋼,機械を中心とした工業都市として発展。現在は電気・電子機器を中心に,機械,金属,光学機器,化学など各種の工業が立地し,北部バイエルン工業地帯の中心をなしている。玩具の国際見本市は特に有名。市街は第2次世界大戦中にほとんど破壊されたが,現在もなお 1452年完成の城壁 (長さ約 5km,当初 128あった塔のうち 60は無傷) に囲まれ,デューラーの家,ルネサンス様式の市庁舎 (14~17世紀) ,ゴシック様式の聖セバルドゥス聖堂 (1240頃~73) および聖ロレンツ聖堂 (1350) ,帝国直轄都市時代の城塞などとともに昔の姿を伝えている。ナチスの戦争責任を問う国際軍事裁判 (1945~46) の開廷地。人口 50万3673(2010)。

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