ケルン(読み)けるん(英語表記)Johan Hendrik Caspar Kern

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケルン」の意味・わかりやすい解説

ケルン(ドイツ)
けるん
Köln

ドイツ中西部、ノルトライン・ウェストファーレン州の都市。ライン川が市内をほぼ南北に貫流する。人口96万8600(2002)。フランス語名コローニュCologne。ノルトライン地方の経済・文化の中心地で、テレビ・ラジオ放送の基地。ドイツでは50余の保険会社の本社が集中することで知られ、1360年以来の見本市メッセ)が開かれる。自動車、化学、電気機器などの産業があり、とくに化粧水オーデコロン(フランス語で「ケルンの水」を意味するeau de Cologneの英語読み)の生産地として有名。鉄道、自動車道路が集中する国際的な交通要地で、河港もある。ケルン・ボン空港は都心から20分余りで近い。公立ではドイツ最古(1388創立)のケルン大学や、ローマ時代の遺跡ディオニソス・モザイクを内部にもつローマ・ゲルマン博物館があり、日本文化会館も所在する。旧市街はライン左岸のローマ時代の町の上に発展したもので、外側は半円形の環状緑地に囲まれ、市内にはケルン大聖堂をはじめ教会が多い。繁華街ホーエ通りとシルダーガッセ。

[小林 博]

歴史

都市としてのケルンの歴史はきわめて古く、紀元前38年、この地に定住したゲルマン系ウビエル人の集落に始まる。紀元後50年、ローマ人が植民都市コロニア・アグリピネンシスColonia Agrippinensis(ケルンという名称はコロニアに由来する)をつくり、2世紀以降、下ゲルマニアの中心都市として、ライン川商業の一大中心地となった。民族移動の混乱期に都市的生活は一時衰えたが、785年、大司教座が置かれ、旧ローマ城壁外のライン川沿岸地区に次々と商人定住区が形成され、10世紀中葉、大司教ブルンは城壁を延長して商人定住区をも市域に取り込んだ。その後商業都市として急速に発展し、11世紀初頭にはロンドンに商館を有するまでになった。ハンザ同盟の有力な構成員となり、1258年のライン都市同盟の結成に際しては下ライン‐ウェストファーレン都市群の本部が置かれたほか、14世紀の中部ライン都市同盟でも指導的役割を果たした。1074年の富裕市民の蜂起(ほうき)は大司教アンノ2世によって鎮圧されたが、1112年の「自由のための誓約」で都市共同体を形成して自治のための歩みを進め、1288年のウォリンゲンの戦いののち、ほぼ完全な自治権を獲得し、1475年には神聖ローマ皇帝から「自由な帝国都市」として承認された。13世紀末以降、都市貴族層よりなる都市参事会ラートRatが市政を握ったが、14世紀には手工業者ツンフト(同職ギルド)の市政参加の要求が強まり、1396年には無血革命によって民主的市政制度が成立した。

 中世末期にケルンは人口4万を数え、ドイツ最大の都市であったが、15世紀末ごろより、ニュルンベルクアウクスブルクなどの南ドイツ都市に経済的に追い抜かれ、さらに16世紀には、商業革命により、国際商業の重心ハンブルクなどの海岸都市に移行したため、相対的にケルンの地位は低下した。ナポレオン戦争の際、一時フランス軍に占領されたが、ウィーン会議によりプロイセン領に編入された。19世紀後半、鉄道網の集中によってふたたび繁栄を取り戻し、1888年以降、周辺の町村合併を繰り返して、第二次世界大戦後には人口100万に近い大都市となった。

[平城照介]

世界遺産の登録

ケルンのシンボルともいえるゴシック様式の「ケルン大聖堂」は1996年および2008年にユネスコ(国連教育科学文化機関)により世界遺産の文化遺産に登録されている(世界文化遺産)。

また、約15km離れた離宮、アウグストゥスブルク城とそれを取り囲むフランス式の庭園、さらに鷹狩(たかがり)用の別邸、ファルケンルストが1984年に世界遺産の文化遺産に登録されている(世界文化遺産)。

[編集部]


ケルン(Johan Hendrik Caspar Kern)
けるん
Johan Hendrik Caspar Kern
(1833―1917)

オランダのインド学者、仏教学者。1865年から1903年までライデン大学のサンスクリット教授を務めた。インド学では名作『シャクンタラー』の翻訳(1862)、天文学書の原典の出版(1865)をはじめ、古代ジャワ語文献に関する諸労作がある。仏教学ではオランダ語の『インド仏教史』2巻(1882~1884)のほか、『梵文法華経(ぼんぶんほけきょう)』の英訳(1884)および南条文雄(なんじょうぶんゆう)との共同による校訂出版(1908~1912)、『ジャータカ・マーラー(本生鬘(ほんじょうまん))』の校訂(1891)、英文『インド仏教綱要』(1896)など多くの業績がある。ライデン大学のインド学研究所が「ケルン研究所」とよばれるのは、彼の名に由来する。

[藤田宏達 2017年4月18日]


ケルン(積石塚)
けるん

積石塚

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケルン」の意味・わかりやすい解説

ケルン
Köln

英語,フランス語では Cologne。ドイツ西部,ノルトラインウェストファーレン州,ライン川左岸にあるドイツ第4の都市。前 38年ローマの軍営地,50年ローマの植民地 (コロニア) となり,4世紀に司教座がおかれ,8世紀には大司教座がおかれた。以後歴代大司教の政治的才腕が発揮されて,10~15世紀に繁栄をみ,ドイツ最大の都市の一つとなった。ラインの交通要地を占め,ハンザ同盟の一員として活躍したが,16世紀同盟の衰退とともに経済活動も沈滞。 1815年プロシア領となり,19世紀後半の鉄道の発達に支えられ,工業都市として再び繁栄を取戻した。第2次世界大戦で壊滅的打撃を受けたが,復興。交通 (鉄道,道路) の要地で,商工業が盛ん。ケルン大学,ケルン派絵画の収集で知られるワルラフ=リヒアルツ美術館,ローマ・ゲルマン博物館などがあり,ラインラント地方の文化,芸術の中心地である。工業には伝統的なワイン,織物のほか,鉄鋼,造船,車両,化学 (石油,薬品,ゴムなど) などがあり,化粧水オーデコロン (ケルン水の意) は世界的に有名。市内のケルン大聖堂はゴシック様式の代表とされており,六百余年の歳月をかけて 1880年に完成したもの。人口 99万8105(2010)。

ケルン
cairn

本来はアイルランド語で石で築いた塚をいうが,登山用語では登頂記念,あるいは登降路を示すためにつくられる積み石をさす。大きな石を土台に,ピラミッド状に積む。

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