ケルン(読み)けるん(英語表記)Köln

デジタル大辞泉 「ケルン」の意味・読み・例文・類語

ケルン(Köln)

ドイツ西部、ノルトライン‐ウェストファーレン州の都市。ライン川沿いに位置する。ローマの植民地として建設され、8世紀以降、大司教座の所在地として栄えた。代表的ゴシック建築のケルン大聖堂があり、オーデコロンの生産でも有名。フランス語名、コローニュ。人口、行政区101万(2010)。

ケルン(cairn)

山頂や登山路に、道標や記念として石を円錐形に積み上げたもの。 夏》

ケルン(〈ドイツ〉Kern)

中心の部分。核。中核。

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精選版 日本国語大辞典 「ケルン」の意味・読み・例文・類語

ケルン

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] cairn ) 登山路、山頂などに、道しるべや記念としてピラミッド形に石を積み上げたもの。《 季語・夏 》
    1. [初出の実例]「霧深き積石(ケルン)に触るるさびしさよ」(出典:山行(1935)〈石橋辰之助〉)

ケルン

  1. ( Köln ) ( 五〇年に古代ローマの植民市(コロニア)として建設され、コロニア‐アグリッピネンシスと命名。そのコロニアが転化したもの ) ドイツ西部の商工業都市。ライン川中流に臨み、中世にはハンザ同盟に加盟して一三~一四世紀に最盛期に達した。フランス革命のころフランスに、一八一五年以降プロイセンに支配された。

ケルン

  1. 〘 名詞 〙 ( [ドイツ語] Kern )
  2. 穀物、やわらかい果実の種、固い殻の中の実。転じて、核心、本質、真髄をいう。〔モダン辞典(1930)〕
  3. 組織の中心人物。〔アルス新語辞典(1930)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケルン」の意味・わかりやすい解説

ケルン(ドイツ)
けるん
Köln

ドイツ中西部、ノルトライン・ウェストファーレン州の都市。ライン川が市内をほぼ南北に貫流する。人口96万8600(2002)。フランス語名コローニュCologne。ノルトライン地方の経済・文化の中心地で、テレビ・ラジオ放送の基地。ドイツでは50余の保険会社の本社が集中することで知られ、1360年以来の見本市(メッセ)が開かれる。自動車、化学、電気機器などの産業があり、とくに化粧水オーデコロン(フランス語で「ケルンの水」を意味するeau de Cologneの英語読み)の生産地として有名。鉄道、自動車道路が集中する国際的な交通要地で、河港もある。ケルン・ボン空港は都心から20分余りで近い。公立ではドイツ最古(1388創立)のケルン大学や、ローマ時代の遺跡ディオニソス・モザイクを内部にもつローマ・ゲルマン博物館があり、日本文化会館も所在する。旧市街はライン左岸のローマ時代の町の上に発展したもので、外側は半円形の環状緑地に囲まれ、市内にはケルン大聖堂をはじめ教会が多い。繁華街はホーエ通りとシルダーガッセ。

[小林 博]

歴史

都市としてのケルンの歴史はきわめて古く、紀元前38年、この地に定住したゲルマン系ウビエル人の集落に始まる。紀元後50年、ローマ人が植民都市コロニア・アグリピネンシスColonia Agrippinensis(ケルンという名称はコロニアに由来する)をつくり、2世紀以降、下ゲルマニアの中心都市として、ライン川商業の一大中心地となった。民族移動の混乱期に都市的生活は一時衰えたが、785年、大司教座が置かれ、旧ローマ城壁外のライン川沿岸地区に次々と商人定住区が形成され、10世紀中葉、大司教ブルンは城壁を延長して商人定住区をも市域に取り込んだ。その後商業都市として急速に発展し、11世紀初頭にはロンドンに商館を有するまでになった。ハンザ同盟の有力な構成員となり、1258年のライン都市同盟の結成に際しては下ライン‐ウェストファーレン都市群の本部が置かれたほか、14世紀の中部ライン都市同盟でも指導的役割を果たした。1074年の富裕市民の蜂起(ほうき)は大司教アンノ2世によって鎮圧されたが、1112年の「自由のための誓約」で都市共同体を形成して自治のための歩みを進め、1288年のウォリンゲンの戦いののち、ほぼ完全な自治権を獲得し、1475年には神聖ローマ皇帝から「自由な帝国都市」として承認された。13世紀末以降、都市貴族層よりなる都市参事会ラートRatが市政を握ったが、14世紀には手工業者ツンフト(同職ギルド)の市政参加の要求が強まり、1396年には無血革命によって民主的市政制度が成立した。

 中世末期にケルンは人口4万を数え、ドイツ最大の都市であったが、15世紀末ごろより、ニュルンベルクアウクスブルクなどの南ドイツ都市に経済的に追い抜かれ、さらに16世紀には、商業革命により、国際商業の重心がハンブルクなどの海岸都市に移行したため、相対的にケルンの地位は低下した。ナポレオン戦争の際、一時フランス軍に占領されたが、ウィーン会議によりプロイセン領に編入された。19世紀後半、鉄道網の集中によってふたたび繁栄を取り戻し、1888年以降、周辺の町村の合併を繰り返して、第二次世界大戦後には人口100万に近い大都市となった。

[平城照介]

世界遺産の登録

ケルンのシンボルともいえるゴシック様式の「ケルン大聖堂」は1996年および2008年にユネスコ国連教育科学文化機関)により世界遺産文化遺産に登録されている(世界文化遺産)。

また、約15km離れた離宮、アウグストゥスブルク城とそれを取り囲むフランス式の庭園、さらに鷹狩(たかがり)用の別邸、ファルケンルストが1984年に世界遺産の文化遺産に登録されている(世界文化遺産)。

[編集部]


ケルン(Johan Hendrik Caspar Kern)
けるん
Johan Hendrik Caspar Kern
(1833―1917)

オランダのインド学者、仏教学者。1865年から1903年までライデン大学のサンスクリット教授を務めた。インド学では名作『シャクンタラー』の翻訳(1862)、天文学書の原典の出版(1865)をはじめ、古代ジャワ語文献に関する諸労作がある。仏教学ではオランダ語の『インド仏教史』2巻(1882~1884)のほか、『梵文法華経(ぼんぶんほけきょう)』の英訳(1884)および南条文雄(なんじょうぶんゆう)との共同による校訂出版(1908~1912)、『ジャータカ・マーラー(本生鬘(ほんじょうまん))』の校訂(1891)、英文『インド仏教綱要』(1896)など多くの業績がある。ライデン大学のインド学研究所が「ケルン研究所」とよばれるのは、彼の名に由来する。

[藤田宏達 2017年4月18日]


ケルン(積石塚)
けるん

積石塚

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改訂新版 世界大百科事典 「ケルン」の意味・わかりやすい解説

ケルン
Köln

ドイツ西部,ノルトライン・ウェストファーレン州の都市。フランス語でコローニュCologne。人口96万2507(1999)でドイツ第4位。ライン川下流域の水陸交通の十字路にあたり,EUの心臓部と深く結びついた,商業・工業・文化の中心地。ライン左岸に半円形をなす旧市街は,ローマ時代の遺跡,中央ヨーロッパ最大のゴシック式大聖堂(ケルン大聖堂),数多くの由緒ある教会,市庁舎,市門に過去の面影をとどめ,その郊外と右岸に新市街と港を備えた工業地帯が展開している。連邦と州の行政機関,商業会議所,諸外国の文化会館,名高い体育大学,音楽大学と総合大学,ローマ・ゲルマン博物館,ワルラフ・リヒャルツ美術館がおかれ,世界的商品たるオーデコロン,ドイツ発動機をはじめ各種の重化学・軽工業が立地している。市内では一年中国際的な見本市,さまざまな会議や文化,スポーツ・観光行事が催され,なかでもカーニバルは,ライン地方最大の市民的祭典として知られる。ケルンの名は,紀元50年ローマ皇帝クラウディウス1世がゲルマン人ウビイ族の居住地に建設した植民都市Colonia Claudia Ara AgrippinensiumまたはColonia Agrippinensisの略称Coloniaに由来する。313年司教座が設置され,450年フランク族の支配下に入った。785年カール大帝は司教座を大司教座に昇格させた。881年ノルマン人の劫略に遭って荒廃したが,10世紀に河岸に商人定住区がつくられ,中世都市への発展が始まった。1074年大司教アノーの暴政に対する商人たちの蜂起は失敗したが,1112年市民の宣誓共同体が結成され(異説あり),1288年ウォリンゲン会戦の勝利によって帝国自由都市となり,1475年皇帝の正式承認をみた。13~14世紀には,ハンザ同盟の有力都市としてヨーロッパ各地と通商関係をもち,毛織物業,皮細工,金属工芸など手工業面でも隆盛をきわめ,約4万の人口を擁するドイツ最大の都市となった。しかし富裕な門閥商人の寡頭的市政は,1371年織布工の反乱,96年無血革命を引き起こし,22のギルドからなる新参事会が生まれた。1388年ドイツ最初の都市大学(ケルン大学)が創設され,アルベルトゥス・マグヌス以来の伝統を継承した。16世紀には,反宗教改革の拠点となり,ネーデルラント避難民は追放され,三十年戦争後ハンザ同盟の没落とあいまって都市は衰退に向かった。1794年フランス革命軍に占領されたが,1803年ドイツで初めて商業会議所が開かれ,15年プロイセン王国への編入以降,近代工業の発達,蒸気船の航行,鉄道会社の設立にともない繁栄を取り戻した。三月革命期には,ライン地方の急進的ブルジョアジーと労働者階級の運動の中心地となり,マルクスが《ライン新聞》《新ライン新聞》の主筆として活躍している。80年代から市域の拡大が進められ,1920-25年アデナウアー市長のもとで市壁跡が美しい緑地帯に造成された。第2次大戦で市内は廃墟と化し,戦後の復興はきわめて困難であった。
執筆者:


ケルン(墳墓)
cairn

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百科事典マイペディア 「ケルン」の意味・わかりやすい解説

ケルン

ドイツ,ノルトライン・ウェストファーレン州の都市。フランス語ではコローニュCologne。ライン川中流の両岸にまたがる河港都市で,商工業の一大中心。主要鉄道の連絡点で,空港もある。機械,車両,食品加工,化粧品,電気機器などの工業が行われる。古代ローマ時代の創設になり,8世紀に大司教座が置かれた。13世紀末自由市となり,ハンザ同盟の主要メンバーとなった。17世紀までドイツ最大の都市であった。ローマ時代の遺跡,ケルン大聖堂のほか多くの文化遺産,ケルン大学(1388年創立)がある。101万7200人(2011)。
→関連項目アウグストゥスブルク宮殿ラインラントレーバークーゼン

ケルン

山岳地方で石を積んで作った塔のこと。ゲーリック語のcarn(堆積)が語源。もともとは,石を積み上げて墓室を覆ったものをいう。近年では,登頂の記念に登降路や尾根・山頂にピラミッド型に積んだ石のことを意味するようになった。迷いやすい尾根などでは,指導標として重要な役割を果たす。→積石塚

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケルン」の意味・わかりやすい解説

ケルン
Köln

英語,フランス語では Cologne。ドイツ西部,ノルトラインウェストファーレン州,ライン川左岸にあるドイツ第4の都市。前 38年ローマの軍営地,50年ローマの植民地 (コロニア) となり,4世紀に司教座がおかれ,8世紀には大司教座がおかれた。以後歴代大司教の政治的才腕が発揮されて,10~15世紀に繁栄をみ,ドイツ最大の都市の一つとなった。ラインの交通要地を占め,ハンザ同盟の一員として活躍したが,16世紀同盟の衰退とともに経済活動も沈滞。 1815年プロシア領となり,19世紀後半の鉄道の発達に支えられ,工業都市として再び繁栄を取戻した。第2次世界大戦で壊滅的打撃を受けたが,復興。交通 (鉄道,道路) の要地で,商工業が盛ん。ケルン大学,ケルン派絵画の収集で知られるワルラフ=リヒアルツ美術館,ローマ・ゲルマン博物館などがあり,ラインラント地方の文化,芸術の中心地である。工業には伝統的なワイン,織物のほか,鉄鋼,造船,車両,化学 (石油,薬品,ゴムなど) などがあり,化粧水オーデコロン (ケルン水の意) は世界的に有名。市内のケルン大聖堂はゴシック様式の代表とされており,六百余年の歳月をかけて 1880年に完成したもの。人口 99万8105(2010)。

ケルン
cairn

本来はアイルランド語で石で築いた塚をいうが,登山用語では登頂記念,あるいは登降路を示すためにつくられる積み石をさす。大きな石を土台に,ピラミッド状に積む。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ケルン」の解説

ケルン
Köln[ドイツ],Cologne[英,フランス]

ドイツ,ライン地方の都市。起源はローマの植民市コロニア・アグリッピネンシス。795年大司教座が置かれ,大司教は13世紀には選帝侯位を得ているが,都市ケルンは1288年に自立して帝国都市となる。ハンザ同盟にも加盟し,中世末には人口4万を擁してドイツ最大の都市であった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ケルン」の解説

ケルン
Köln

ドイツ西部,ライン川中流にあるドイツの都市
50年ごろ古代ローマの植民都市(コロニア)として建設。ケルンはコロニアの訛 (なま) ったもの。カール1世のとき(785),大司教都市となる。ケルンの大司教には歴代すぐれた政治力のある人物が出,のちに七選帝侯のひとりとなった。市民は経済的実力の充実とともに自治を要求し,大司教と争って,1288年帝国自由都市となった。ケルンの経済活動は遠隔地貿易が中心で,ハンザ同盟の指導的都市の1つでもあった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「ケルン」の解説

ケルン

生年月日:1833年4月6日
オランダのインド学者,仏教学者
1917年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のケルンの言及

【積石塚】より

…石を積み上げて墓室を覆ったもので,ケルンcairnとも呼ばれる。墳丘が積石であるのが一般的な地域では,cairn(積石塚)という言葉は,しばしばbarrow(塚)と同義語に使われる。…

【登山】より

… クレバスcrevasse氷河上の亀裂。 ケルンcairn積み石,記念塚。登降路の指針として,あるいは登山の記念としてピラミッド状に石を積み上げたもの。…

【墳墓】より

…地上に標識を残さないのは盗掘を防いだものであろう。
[墳丘と墓室]
 墳丘を築く場合には,土を盛るもののほか,石を積み上げた積石塚(ケルンcairn),土を盛り,表面全体あるいは一部を切石で化粧したり,石塊を葺いたり(葺石(ふきいし)),周囲に立石を配するなど各種の外装を施したものがある。フランス南西部のルグルドゥRegourdou洞窟では遺体の上に石積みがあり,墳丘状施設の最古の例をなしている。…

※「ケルン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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