日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒトラー暗殺未遂事件」の意味・わかりやすい解説
ヒトラー暗殺未遂事件
ひとらーあんさつみすいじけん
第二次世界大戦中、東プロイセン州ラステンブルク(現、ポーランド、ケントシン)の総統本部で起こったヒトラーの暗殺未遂事件、およびここで頂点に達した反ヒトラー・クーデターの試みをさす。正しくは、1944年7月20日事件Zwanzigster Juli 1944という。1943年秋以来、戦局が転換し、ヒトラーの戦争指導に対する疑念が高まると、シュタウフェンベルクClaus Schenk Graf von Stauffenberg大佐は、国防軍を中心に、政治家、外交官、労働運動指導者などをも含むクーデター計画を推進し、1944年7月20日時限爆弾入りの書類鞄(かばん)を会議中のヒトラーの足元に置き、爆発させたのち、ベルリンに飛び、16時国防軍出動計画(「ワルキューレ」)を発動した。だが偶然の事情からヒトラーは軽傷を負ったにすぎず、クーデターは失敗に終わった。シュタウフェンベルクは即決裁判で銃殺、7000人が逮捕され、200人が処刑されたという。失敗したとはいえ、この事件によって、ナチス・ドイツとは異なる「いま一つのドイツ」の存在が示された。この意味で、この事件は反ファシズム抵抗運動の一つとして高く評価されている。
[吉田輝夫]