改訂新版 世界大百科事典 「ヒュースケン殺害事件」の意味・わかりやすい解説 ヒュースケン殺害事件 (ヒュースケンさつがいじけん) 万延1年12月5日(1861年1月15日)夜,アメリカ駐日公使ハリスの通訳官でオランダ人のヒュースケンHenry C.J.Heuskenが,攘夷派の浪士たちに殺害された事件。条約交渉中のプロシア使節の通訳にあたっていたヒュースケンは,赤羽根接遇所から麻布善福寺のアメリカ公使館に騎馬で帰る途中に襲われ,幕府はオランダにいる同人の母に賠償金として1万ドルを支払った。執筆者:芝原 拓自 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
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