フィヤング(読み)フィヤング(その他表記)Fiyanggū

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フィヤング」の意味・わかりやすい解説

フィヤング(費揚古)
フィヤング
Fiyanggū

[生]順治2(1645)
[没]康煕40(1701).北京
中国,清初の武将。満州正白旗の人。ドンゴ (棟鄂) 氏の出身。父はヌルハチ (奴児哈赤) 時代に来帰したオショ (鄂碩) 。 14歳で父の三等伯爵を継ぎ,三藩の乱平定に活躍し,その功により領侍衛内大臣兼火器営総管に任じられ,議政大臣となった。その後ジュンガル部ガルダン (噶爾丹)ハルハに侵入したのを康煕 29 (1690) 年にウラン・プトゥンで撃破。なおもガルダン防衛のため同 32年安北将軍,同 34年撫遠大将軍となった。翌年康煕帝の親征の先鋒となり,ガルダンをジョーン・モド (昭莫多)に討伐した。同 36年にその功で一等公に封じられたが,まもなく病没した。

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