ガルダン(その他表記)Galdan

精選版 日本国語大辞典 「ガルダン」の意味・読み・例文・類語

ガルダン

  1. ( Galdan ) 一七世紀にアルタイ山脈周辺本拠として、中央アジア外蒙古を支配したオイラート族ジュンガル部首長。ダライ‐ラマの支援を得てラマ教と結ぶジュンガル世界国家を夢みたが、一六九六年、中国、清の康熙(こうき)帝の軍隊に敗れ、翌年自殺した。噶爾丹。(一六四九‐九七

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改訂新版 世界大百科事典 「ガルダン」の意味・わかりやすい解説

ガルダン
Galdan
生没年:1645-97

ジュンガル王国の君主。噶爾丹と漢音訳される。1671年兄センゲの死後ジュンガル部長となり,ジュンガル王国の君主権の強化に努めて,独裁者となった78年にチベットのダライ・ラマ5世からボショクト・ハン称号を授けられた。対外的には,72年以来ロシアと外交・通商関係を保つ一方,70-80年代に東トルキスタンを支配下に入れた。88年外モンゴリアのハルハ諸侯と戦って勝利を収めたが,清の干渉招き,90年から清と抗争に入った。96年清の康熙帝みずから率いる軍に外モンゴリアのジョー・モドで決定的敗北を喫し,進退窮まるうちに翌年急死した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガルダン」の意味・わかりやすい解説

ガルダン(噶爾丹)
ガルダン
Galdan

[生]1644
[没]1697
ジュンガル部の部長 (在位 1671~97) 。ホトゴチン・バートゥル・フンタイジの子。初めチベットで僧となっていたが,1671年部長であった長兄センゲが殺されると,還俗して帰国,部長となった。まもなく全オイラートの長であったホシュート (和碩特) 部のオチルトゥ・チェチェン・ハンと衝突,76年オチルトゥを捕えてボショクト・ハンと号した。東トルキスタンを征服,88年外モンゴルに侵入してこれを占領した。 90年ウラーン・ブドンで清軍に大敗した。この間センゲの長子ツェワン・アラプタン (策妄阿拉布坦)と不和になり,ジュンガル本部を失って外モンゴルに孤立した。 96年清の康煕帝はゴビを渡って外モンゴルに遠征,トラ河畔のジョーン・モドにガルダンの軍を撃破した。翌年ガルダンはアルタイ山中で病死した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ガルダン」の解説

ガルダン
Galdan

1644~97(在位1671~97)

ジュンガル部の首長。ボショクト・ハーンと号した。活仏(かつぶつ)としてチベットにあったが,1671年に兄センゲが一族に殺されると,ダライラマの許しを得て帰国,77年ホシュート部の覇権を奪って全オイラトの指導者となった。東トルキスタンを従えて貢納させる一方,ハルハ部の内紛に介入,1688年に兵を率いてハルハに侵入した。しかし本国を甥のツェワンアラブタンに奪われ,96年には清軍とジューン・モドで戦って敗れ,翌年自殺した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガルダン」の意味・わかりやすい解説

ガルダン
がるだん / 噶爾丹
Galdan
(1649―1697)

アルタイ山脈西方に拠(よ)っていたモンゴル系民族オイラートのジュンガル部長。ダライ・ラマの支持を得てチベット仏教(ラマ教)・ジュンガル世界国家の建設を夢みた。1677年、オイラート全部の首長であった岳父を殺してハンと称し、82年にはタリム盆地の回部(かいぶ)をも従えた。ついで88年にはアルタイを越えてモンゴルに侵入し、勝利を得たが、90年に赤峰付近で清(しん)軍に敗れ、96年には親征した康煕(こうき)帝の軍隊にチャモド(昭莫多)で大敗し、翌年アルタイ山中で自殺した。

[羽田 明]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ガルダン」の解説

ガルダン
Galdan

1645ごろ〜97
モンゴル族オイラートのジュンガル王国の族長
チベットでダライ=ラマについて修行中,兄が殺されたので帰国し,族長となった。1678年には,チベットのダライ=ラマ5世からボショクト=ハンの称号を授けられた。天山南路・青海・外モンゴルなどを服属させて栄えたが,兄の遺子と対立し,清の康熙 (こうき) 帝の軍にウランプトンとチャモドで敗れ,翌年自殺した。

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世界大百科事典(旧版)内のガルダンの言及

【ジュンガル】より

…いっぽう彼は国内体制の整備にも努めたが,なかでも重要なのは,〈大法典〉(1640)の制定と黄帽派ラマ教の国教化である。バートル・ホンタイジの子センゲ(在位1653‐71)を経て,センゲの弟ガルダン(在位1671‐97)にいたり,ホシュート部族の勢力を一掃して名実ともにジュンガル王国の独裁者となった。このため78年ダライ・ラマ5世よりボショクト・ハンの称号を授けられた。…

※「ガルダン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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