日本大百科全書(ニッポニカ) 「フリギア」の意味・わかりやすい解説
フリギア
ふりぎあ
Phrygia
アナトリア(小アジア)の中央高地西部にあった古代国家。インド・ヨーロッパ語族に属するフリギア人が、紀元前1000年ごろトラキア地方から西アナトリア、中央アナトリアへと移動して建国した。アッシリアの文献で、「ムシュキのミタ」として登場するミダス王の治世(前725ころ~前675ころ)の末期、キンメリア人の侵入で一時衰微した。しかし前7世紀末には復興し、前6世紀中ごろまで、その独立を維持した。
造形美術には、幾何学文様時代のギリシアとかかわる彩文土器、ウラルトゥを思わせる青銅製品、アナトリアの地母神信仰の流れをくむキベレ神像などがあげられる。フリギア美術の影響を受けた地域は、西・中央アナトリア、黒海沿岸地域、シリア国境地域と広範囲に及び、その伝統は中央アナトリアではヘレニズム時代まで続いている。
なお、フリギアの研究は、アメリカのペンシルベニア大学のS・ヤングが、アンカラの西94キロメートルにあるゴルディオン(別称ヤッスホユック)を1949年に発掘を開始したのち急速に発達した。
[大村幸弘]