日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウラルトゥ」の意味・わかりやすい解説
ウラルトゥ
うらるとぅ
Urartu
バン湖を中心に広大な地域を支配した古代の王国。ヘブライ語ではアララトAraratという。中心は現在のアルメニア共和国と、トルコ東部の国境線にまたがり、一時は今日のイラン、イラク、シリアの一部をも版図に含んでいた。紀元前9世紀にウラルトゥ人はビア人の王アラメによって統一され、以後、前7世紀まではアッシリアとの抗争で明け暮れた。サルドゥリシュ1世は首都をバン湖畔に定め、前8世紀初頭のアルギシュティシュ1世の治世に最盛期を迎えた。ルサシュ1世は首都をトプラッハ・カラ(ウズベキスタン内)に築き、主神ハルディスに捧(ささ)げた神殿を建立したが、前713年アッシリアのサルゴン2世に敗れた。前610年アッシリアが完全に滅亡後、前6世紀初頭になってメディアに編入され、前585年アケメネス朝ペルシアのカンビセス1世に滅ぼされ、以後歴史上から姿を消した。
ウラルトゥ人は民族的にはフルリ人(非インド・ヨーロッパ語系)と関連が深く、ヒッタイトの象形文字に似た文字をもっていたが、大部分はアッシリアの楔形(くさびがた)文字に基づく楔形文字(ウラルトゥ語)を使って記録を残した。芸術面ではアッシリアの影響を強く受けているが、冶金(やきん)術、とくに青銅製品に独自の優れたものが多い。著名な遺跡としては、トプラッハ・カラ、カルミル・ブルール、アルティン・デペなどがあり、城砦(じょうさい)や住居趾(し)、墳墓などが発掘され武具、装身具などが発見された。
[高橋正男]