改訂新版 世界大百科事典 「ホリアの乱」の意味・わかりやすい解説
ホリアの乱 (ホリアのらん)
1784年に起きたトランシルバニアのルーマニア人農民の蜂起。蜂起の3人の指導者の名を付してホリア・クロシュカ・クリシャンの乱ともいう。ホリアHoria(〈フルートの名手〉の意)はトランシルバニアのアプセン山脈に住んでいたルーマニア人(一般にモツィと呼ばれる)農奴で,本名はニコラVasile Ursu Nikola(?-1875)。ルーマニア人の農奴身分からの解放を求めて,1779-84年に4度ウィーンへ赴き,マリア・テレジアとヨーゼフ2世に直訴したが聞き入れられなかったので,84年11月ブチウムで民衆集会を開き,同月末には貴族所領の廃止と,それの農奴への分配を要求する綱領を作成した。しかしオーストリア帝国軍が鎮圧に乗り出し,ミハイレニで蜂起軍を破った。ホリアは捕らえられ,クロシュカとともに,85年2月にアルバ・ユリアで車裂きの刑に処せられた。
執筆者:萩原 直
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報