ポッパエア・サビナ(その他表記)Poppaea Sabina

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポッパエア・サビナ」の意味・わかりやすい解説

ポッパエア・サビナ
Poppaea Sabina

[生]?
[没]65
ローマ皇帝ネロの寵妃。母方祖父で執政官 (コンスル,9) ,モエシア総督 (12~35) を歴任したガイウス・ポッパエウス・サビヌスにちなんで命名され,「高貴な品性」を除いては,他に何一つ欠けるものはなかったと評された。初め近衛長官クリスピヌス,次いでのちの皇帝オトーと結婚したのち,58年にはネロの愛人となった。ネロが 59年,母アグリッピナ (小)を殺し,62年妃オクタウィアを離婚後処刑したのは彼女のさしがねによるものといわれる。オクタウィアの処刑直後ネロの正妃となった。 65年ネロが懐妊していた彼女の腹を腹立ちまぎれに蹴ったため死んだが,国葬と神的栄誉を与えられたという。

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世界大百科事典(旧版)内のポッパエア・サビナの言及

【オトー】より

…在位69年1~4月。ネロの友人であったが,妻ポッパエア・サビナをネロに奪われた後,ルシタニア総督に転出させられた。68年ガルバがネロに対し反乱を起こすとこれに同調したが,翌年ガルバが軍隊の支持を失うと彼を倒して皇帝に就任。…

【化粧】より

…ローマでは,ギリシアの影響を受けて男女間におしゃれが流行した。ローマ皇帝ネロの妻ポッパエア・サビナは肌を白く美しくするために,毎朝ロバの乳の風呂に入り,夜はパンとロバの乳でつくったパックをして皮膚の手入れをした。そのためつねに500頭のロバを飼い,旅行するときも50頭のロバを連れていったという。…

【ネロ】より

…そこで小アグリッピナはこれまで疎んじていたブリタニクスを支持しようとしたので,55年ネロはブリタニクスを毒殺した。やがてのちの皇帝オトーの妻で妖艶な美女ポッパエア・サビナPoppaea Sabinaを愛人とし,オトーをルシタニア総督に転出させた。そこでネロをめぐって母と愛人とが争い,小アグリッピナは酒に酔わせたネロと母子相姦を犯したとも伝えられている。…

※「ポッパエア・サビナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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