コンスル(読み)こんする(英語表記)consul ラテン語

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンスル」の意味・わかりやすい解説

コンスル
consul

古代ローマの最高政務官。執政官,統領などと訳される。前 509年共和政成立時に2人官として設置されたといわれる。互いに同等の権利をもち執務を交代し,その期間は1年で権力の集中,寡頭政の復活を妨げた。国政の最高官として,政治,軍事,裁判の最高権力を有し,元老院を主宰,兵員会招集,法案提出を行なった。また外国に対しては国家を代表する存在で,必ず付人を随伴させた。兵員会から選出され,前4世紀まではパトリキ (貴族) が就任したが,前 367年のリキニウス法により1人はプレプス (平民) から選ぶこととされた。しかし翌年度のコンスル選挙に際して候補者をその年のコンスルが指名したため,就任者は一部の氏族が独占することとなった。共和政末期には G.マリウス,ユリウス・カエサルアウグスツスらの有力者が連年コンスルに就任するようになり,元首制の成立とともに元首,皇帝がみずから就任あるいは候補者指名を行うにいたって,有名無実なものとなり,前 180年定められた就任年齢 42歳以上との規定も無視された。職名自体は西方地域で 534年まで存続した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コンスル」の意味・わかりやすい解説

コンスル
こんする
consul ラテン語

古代ローマの最高官職(最高の政務官)。執政官または統領と訳される。紀元前509年、共和政樹立とともに設置されたと伝えられる。コンスルはケントゥリア民会で選挙され、二人同僚制、1年任期インペリウム(命令権)をもつ軍事、民政の最高の役人であった。戦時には軍司令官であり、ケントゥリア民会、元老院の招集、主宰のほか、包括的な国家権力の行使をゆだねられた。もとは貴族だけの就任が許されたが、法的には前366年から、実際は前342年以後、2人のうち1人は平民となった。帝政期になってもこの官職は存続したが、皇帝が自己または寵臣(ちょうしん)を推薦し、元老院で選出されるようになった。就任日は初め3月15日であったが、前153年からは1月1日となり、紀年はこの日に就任したコンスル名によって行われた(だれとだれがコンスルの年、というように)。帝政期には4か月または2か月しか任期をもたない例が多くなった。就任の年齢はキケロの時代には42歳以上とされたが、帝政期には幼児の就任例も現れた。西の帝国では534年までその存続がみられた。

[弓削 達]

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