国の儀式として全額国費で賄う葬儀。戦前は勅令の「国葬令」が法的根拠となり、皇族のほか国に偉大な功労があった者が対象だった。現行憲法施行で国葬令は失効する。1989年、昭和天皇の「大喪の礼」は皇室典範で定められた国の儀式として営まれた。戦後の首相経験者の国葬は67年の吉田茂氏、昨年の安倍晋三氏と2例のみ。近年は内閣・自民党合同葬の形が多い。経費を国と党が折半する形で公費支出は続いてきた。2020年の中曽根康弘氏の場合、国費負担は8295万円だった。
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国が国家の儀式として、国費で行う葬儀。第二次世界大戦前には、1926年(大正15)に従来の先例・慣例を法制化して国葬令が制定され、国葬は、法定上行われるものと、特旨によるものの2種とされた。前者は、天皇、太皇太后、皇太后、皇后の大喪儀と、皇太子、同妃、皇太孫、同妃、摂政(せっしょう)たる親王、内親王、王、女王の喪儀(7歳未満の皇太子、皇太孫の死去は除く)である。特旨によるものは、国家に大きな功労のあった者と、死に際してとくに勅旨のあった者の葬儀で、皇族も含まれていた。国葬当日は廃朝(天皇が政務をとらないこと)で、官庁と学校は休み、歌舞音曲は停止または遠慮し、全国民は喪に服し、国葬を厳粛に送ることとされた。国葬は神道(しんとう)式で行われ、葬儀の事務は国の機関が担当した。第二次世界大戦前、特旨により国葬が行われた者は、1878年(明治11)の大久保利通(としみち)の準国葬以後、次の皇族8名、一般人12名である。岩倉具視(ともみ)(1883)、島津久光(ひさみつ)(1887)、三条実美(さねとみ)(1891)、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)(1895)、北白川宮能久(よしひさ)親王(1895)、毛利元徳(もとのり)(1896)、島津忠義(1897)、小松宮彰仁(あきひと)親王(1903)、伊藤博文(ひろぶみ)(1909)、有栖川宮威仁(たけひと)親王(1913)、大山巌(いわお)(1916)、徳寿宮李太王煕(とくじゅのみやりたいおうき)(1919)、山県有朋(やまがたありとも)(1922)、伏見宮貞愛(ふしみのみやさだなる)親王(1923)、松方正義(まさよし)(1924)、昌徳宮李王(しょうとくのみやりおうせき)(1926)、東郷平八郎(1934)、西園寺公望(さいおんじきんもち)(1940)、山本五十六(いそろく)(1943)、閑院宮載仁(かんいんのみやことひと)親王(1945)。
第二次世界大戦後は、「皇室典範」で天皇の大喪の礼を定めている以外は、国葬の明文規定はないが、1967年(昭和42)10月20日、元首相吉田茂の死去に際して、臨時閣議の決定によって、10月31日、日本武道館で戦後最初の国葬が行われた。また元首相安倍晋三(あべしんぞう)死去の際も国葬が閣議決定され、2022年(令和4)9月27日に日本武道館で行われた。なお、昭和天皇崩御に伴う大喪の礼は、国事行為として、1989年(平成1)2月24日に新宿御苑で執り行われている。
[村上重良]
国の大典として行われる葬儀。国葬の事務は国の機関で行われ,その経費は国庫から支払われる。日本では,それまでは先例にならってなされてきたが,1926年の〈国葬令〉によってはじめて規定された(1947年失効)。国葬令では天皇・太皇太后・皇太后・皇后の〈大喪儀〉や皇太子・皇太子妃・皇太孫・皇太孫妃および摂政たる皇族の〈喪儀〉はすべて国葬であり(ただし,皇太子・皇太孫が7歳未満の場合を除く),また,国家に功労のあった者(皇族も含む)に対しては特旨をもって国葬とされた。大喪儀,喪儀の期日・場所は宮内大臣と内閣総理大臣の連署をもって公告され,特旨の場合には内閣総理大臣が公告した。また,天皇崩御のときには当日および翌日から5日間,それ以外のとき(特旨の場合を除く)には当日および翌日から3日間,ならびに大喪儀,喪儀当日は廃朝とされた。現行憲法ではとくに規定されていないが,皇室典範25条〈大喪の礼〉はこれにあたる。なお,1967年10月31日吉田茂に対し第2次大戦後初の国葬がなされたが,これは閣議決定によるものである。また,〈国民葬〉の例として,大隈重信(1922)と佐藤栄作(1975)がある。大隈の場合には純然たる民間葬であったが,佐藤の場合には費用のほとんどが政府によって支払われた。なお,特旨によって国葬が行われた者に,岩倉具視(1883),島津久光(1887),三条実美(1891),有栖川宮熾仁親王(1895),北白川宮能久親王(1895),毛利元徳(1896),島津忠義(1897),小松宮彰仁親王(1903),伊藤博文(1909),有栖川宮威仁親王(1913),大山巌(1916),徳寿宮李太王煕(1919),山県有朋(1922),伏見宮貞愛親王(1923),松方正義(1924),昌徳王李王坧(1926),東郷平八郎(1934),西園寺公望(1940),山本五十六(1943),閑院宮載仁親王(1945)の20名がいる。
執筆者:田中 浩
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