オクタウィア(その他表記)Octavia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オクタウィア」の意味・わかりやすい解説

オクタウィア
Octavia

[生]前69
[没]前11
ローマ皇帝アウグスツスの姉。ガイウス・オクタウィウスとアチアの娘。前 54年ガイウス・マルケルスと結婚し,1男2女を産んだが,前 40年マルケルスが死ぬと,当時三頭政治の成員であった M.アントニウスと弟オクタウィアヌス (アウグスツス) とのブルンディシウムの和の固めとしてアントニウスと結婚,2女を産んだ。しかし前 36年アントニウスはパルティア遠征におもむき,東方クレオパトラ7世との情事を復活。前 35年兵員や物資を補給してアテネまできたオクタウィアは追返され,前 32年離婚された。彼女はアントニウスと前妻フルウィアとの子,クレオパトラの子らを実子とともに誠実に養育し,世人の尊敬同情を得た。

オクタウィア
Octavia

[生]40
[没]62. パンダテリア島
ローマ皇帝クラウディウス1世と妃メッサリナの娘。初めユニウス・シラヌスと幼少時より婚約関係にあったが,ネロの母アグリッピナ (小)策動によりシラヌスは婚約解消自殺に追込まれ,53年ネロと結婚させられた。しかしネロに冷遇され,ネロは 62年ポッパエア・サビナと結婚するため,彼女を初め不倫,のちに不妊口実で離婚し,カンパニアに追放した。しかし民衆が騒ぎ出すと,再び彼女は不倫と謀反の罪を着せられ,パンダテリア島に流され,処刑された。

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改訂新版 世界大百科事典 「オクタウィア」の意味・わかりやすい解説

オクタウィア
Octavia
生没年:?-前11

ローマ皇帝アウグストゥスの姉。最初の夫マルケルスG.C.Marcellusの死後,オクタウィアヌス(アウグストゥス)派とアントニウス派の和約のあかしとして,前40年アントニウスと結婚したが,両派対立が深まるなかで前32年には離婚を余儀なくされた。実子たちと共に,アントニウスがクレオパトラ等に生ませた子供たちまで養育したことから,彼女の情味あふれる行為は当時の人々の胸を打ったと言われる。
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オクタウィア
Octavia
生没年:40-62

ローマ皇帝ネロの最初の妃。クラウディウス帝とメッサリナの間に生まれ,53年ネロと結婚したが,夫にうとんじられ,62年には不妊を理由に離婚を言い渡された末に,カンパニアに追放された。復帰風聞が民衆の期待を集めると,ネロは姦通と反逆罪のかどでパンダテリアに追放した後,処刑した。彼女の悲劇的な運命は伝セネカ作《オクタウィア》としてネロの死後劇化されている。
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世界大百科事典(旧版)内のオクタウィアの言及

【オクタウィア】より

…復帰の風聞が民衆の期待を集めると,ネロは姦通と反逆罪のかどでパンダテリアに追放した後,処刑した。彼女の悲劇的な運命は伝セネカ作《オクタウィア》としてネロの死後劇化されている。【本村 凌二】。…

【ローマ演劇】より

…彼の残した9編の悲劇はすべて〈クレピダタ劇〉で,《アガメムノンAgamemnon》《ファエドラPhaedra》《メデアMedea》などが有名である。現存する唯一の〈プラエテクスタ劇〉である《オクタウィアOctavia》はセネカ作と伝えられるが,偽作であることがほぼ確実な作品である。セネカの作品は舞台上演を企図して書かれた作品ではなくて,いわゆるレーゼドラマである。…

【アウグストゥス】より

…嫡子に恵まれなかったカエサルの愛顧を受け,アフリカ凱旋やスペイン遠征にも同伴した。生涯の友アグリッパと共にアポロニア遊学中に,カエサルの暗殺とその遺言による養子相続人への指名を伝え聞き,帰国後名門ユリウス氏族の後継者としてガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスGaius Julius Caesar Octavianusと名のった。資産相続の正当性をめぐってカエサル派の実力者アントニウスとは不和になったが,暗殺者の共和派の残党を追撃するなかで和解が成立した。…

※「オクタウィア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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