改訂新版 世界大百科事典 「マザニエーロの一揆」の意味・わかりやすい解説
マザニエーロの一揆 (マザニエーロのいっき)
1647年スペイン総督支配下のナポリで生じた民衆反乱。貴族の諸特権に対する批判を強めたブルジョアジーの代表,法律家のジェノイノG.Genoinoが,民衆との同盟を求めて居住街区で人気の高い魚小売商マザニエーロMasaniello(本名はトマソ・アニエーロ,1620-47)と接触をもった。民衆の間では総督政府の重税政策に不満が高まっており,とくに果物税への反発が強かった。47年7月7日徴税事務所に押しかけた民衆の行動は反乱に転じ,翌日にはさらに拡大して5万とも10万ともいわれる数の民衆反乱となった。指導者の地位に押し上げられたマザニエーロが市の実権を握ったが,総督側の分断策に謀られて,16日に仲間の一団に殺される。ジェノイノも指導力を失い,このあと武器商のアンネーゼG.Anneseという人物が中心になって運動を進め,10月に共和政の樹立が宣言される。しかし,共和政保護のためにフランス兵を率いてナポリに入ったギーズ公アンリ・ド・ロレーヌがしだいに支配権を握り,これに対するスペインの反撃も強まって,結局48年4月共和政は崩れ,スペイン支配が回復されて終わった。
執筆者:北原 敦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報