ギーズ公アンリ(読み)ぎーずこうあんり(英語表記)Henri Ⅰ de Guise

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギーズ公アンリ」の意味・わかりやすい解説

ギーズ公アンリ(1世)
ぎーずこうあんり
Henri Ⅰ de Guise
(1550―1588)

フランス宗教戦争期における旧教徒の指導者あだ名は「向こう傷」le Balafré。カルバン派のポルトロ・ド・メレに殺されたギーズ公フランソアの長子。第三次宗教戦争のジャルナック、モンコントゥルの戦い(いずれも1569)でユグノー軍に勝利を収めた。サン・ジェルマンの和議により宮廷に復帰したコリニー提督の勢力排除を画策して暗殺を企てたが失敗し、サン・バルテルミーの虐殺を指揮した(1572)。王位がユグノーのナバール王アンリに継承されるのを防ぐため、ラ・リーグ(旧教同盟)の先頭にたった。パリ市民の支持を得てアンリ3世をパリから追い出したが、1588年12月ブロアに招集された全国三部会に出席したとき、国王の手によって暗殺された。

[志垣嘉夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「ギーズ公アンリ」の解説

ギーズ公アンリ
ギーズこうアンリ
Henri Duc de Guise

1550〜88
ユグノー戦争中のフランス−カトリック派の首領
旧教側の国王アンリ3世,新教側のナバル公アンリ(のちの国王アンリ4世)と並んで「三アンリ」と呼ばれた。サン−バルテルミの虐殺の指導者のひとりスペインのフェリペ2世と組んで,三アンリの間で戦いを行ったが,国王アンリ3世によって暗殺された。

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