ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マスウード・ベイ」の意味・わかりやすい解説
マスウード・ベイ
Mas`ūd Bey
[没]1289
モンゴル帝国の行政・財務官。ホラズムの人。チンギス・ハンの西征のときのウルゲンチ攻略の際,父マフムード・イェルワジ (牙老瓦赤) とともに来降。財政的手腕を認められてチンギス・ハンに仕え,モンゴル軍東還後のホラズムなどの地方の行政を命じられた。以来オゴデイ時代の大ハンの代官として中国の国境からブハラにいたる地域の財政を担当した。オゴデイ死後,父が失脚し,彼も一時逃亡の身であったが,グユク (貴由)時代に復職した。モンケ (蒙哥)時代はイルティシュ川とジャイフーン川方面の総督をつとめた。 1262~63年アリク・ブガとチャガタイ・ハン国のアルグとの戦争のとき前者の講和の使いとしてアルグのところへ行き,かえってチャガタイ・ハン国の財政長官に任じられ,のち同国のドゥク・ハン (在位 1274~1306) にも仕えた。彼は通算して 50年余絶え間ないモンゴル諸王国間の争いのため荒廃した西トルキスタン方面の行政,財務を統轄し,善政を施し,民生を安定させた。彼の死後は3人の子が彼の職をついだ。また彼によってブハラに建てられた学院マスウーディーヤは有名である。
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