海外植民地,自治領,属州など(植民地と略称)を統治する行政長官の官職名。日本の旧植民地の政務を統轄した朝鮮総督,台湾総督がそれにあたる。西欧では,たとえばイギリスから植民地に派遣された長官をgovernor,governor-generalといい,総督と訳される。またそれ以外の官職名であっても,帝国(宗主国)の中央から派遣された植民地行政の長官に類するものも総督と訳されることが多い。なお,イギリス連邦を構成するカナダ,オーストラリアなどに置かれる総督は,イギリス国王の名代というべき地位にあるが,その権能などについてはそれぞれの国名の項目を参照されたい。
植民地における総督の法的な権限や,だれが総督を任命するかは,それぞれの植民地帝国の統治構造によって異なる。また総督の権力も,その力量や政治環境に応じて流動してきた。そこで,総督の機能の概要を次の3点から整理しよう。
(1)植民地の政治的安定度は総督の役割を左右する。長期にわたって帝国の一部であり治安の安定した植民地では,総督は経済的利得の高い官職であった。そのため,帝国中央の貴族や権力者が特権として総督職を占拠した。たとえばローマ帝国のシリア総督などはその典型である。それに対して,反乱が頻発したり征服後まもない植民地,あるいは他の列強からの脅威が及ぶような場合には,軍事と行政の両面で実質的な決定をなしうる人間が総督に任命された(19世紀フランスの植民統治では海軍提督が総督を兼務する場合が多い)。さらに,たとえば19世紀イギリスのインド統治や日本の朝鮮統治初期など,困難な局面で総督に任命された人々には有力政治家が多く,植民地行政が政治的手腕の試金石とみなされた。(2)総督と中央の政治指導者との関係によっては,中央の政治制度が予定した枠をこえて,総督の権力が拡大した。元来,植民統治は中央からの独立性が高く,統治の現場に立つ当局者の大幅な自由裁量権を前提として成立していた。とりわけ,中央の指導者がほとんど関心をはらわない植民地や,あるいは,たとえばイギリスのインド総督G.N.カーゾンのように有能で野心的な人物が長期間総督をつとめた場合には,植民地行政が中央の統制から相当に離れて行われる余地があった。(3)ところが総督の統治する植民地と帝国の中央との交通・通信網が発達し,さらに帝国中央の植民地行政機構が整備された後は,中央の政策によって総督の権力行使が制約されるに至った。具体的には電信と海上交通網が整備された19世紀末葉以降に,その傾向が顕著になった。そのため,総督は植民地の政治秩序の最終的決定者という立場から,しだいに現地の政治状況からの要請と本国からの指令との間に立つ行政官に変容していった,ということができよう。
→植民地
執筆者:中村 研一
中国,明・清の地方長官。総督の名は1441年(正統6)麓川(雲南・ビルマ(現ミャンマー)国境)を平定した際,兵部尚書王驥(おうき)に軍務を総督せしめたのに始まるが,1469年(成化5)韓雍を両広(広東・広西)の総督兼巡撫としてより常設の官となり,その後各地に配置された。その職は本来,所管地方の軍事を統べるにあったが,兼官兼職により民政をも総轄するようになり,巡撫との間に職権の差はほとんどなく,両者を併称して督撫といった。清も明制を襲い,1省もしくは2,3省に1人の総督をおき,中期以後は8総督16巡撫で,直隷総督は直隷,両江総督は江蘇・安徽・江西,閩浙(びんせつ)総督は浙江・福建・台湾,湖広総督は湖北・湖南,陝甘総督は陝西・甘粛・新疆,四川総督は四川,両広総督は広東・広西,雲貴総督は雲南・貴州を管轄し,なお直隷総督は北洋大臣,両江総督は南洋大臣を兼ねて外国との通商事務を総理し,またそれぞれ北洋水師,南洋水師を統率した。
執筆者:谷 光隆
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①〔中国〕明中期に始まり清に継承された地方の要職。初めは必要に応じて臨時に中央より派遣され軍隊の統帥などの任にあたった。のち常駐の官となり,清では地方の最高長官となった。巡撫(じゅんぶ)と併称され「督撫」ともいったが,1省1巡撫に対して1省から複数省にまたがって置かれた。地方の軍政・民政の統轄をはじめ多くの官職を兼ね,大きな権力を持った。
②〔植民地〕governor, govenor/general ヨーロッパ列強が植民地(自治領,属領を含む)においた最高の地位の行政官。その任命の方法,持つ権限などは,それぞれの植民地帝国の構造によって異なる。現地における反乱や他の列強の干渉が予想されるところには,陸海軍の軍人が任命されることが多く,また有力な政治家が手腕を買われて就任する例もみられた。19世紀末以降,通信・交通手段の発達に伴い,本国政府の発言が強化されて,総督の権限も制約され,儀礼的な存在に化した。
③〔オランダ〕オランダ総督
④〔インド〕インド総督
⑤〔ベンガル〕ベンガル総督
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…巡撫とは〈巡行撫民〉の意で,1391年(洪武24)皇太子が陝西を巡撫したのがこの名の起りといわれ,その後しばらくは中央から臨時に派遣される性格のものであったが,1430年(宣徳5)六部侍郎(各省次官)を要地に派遣して租税徴収の監督をさせたころから,地方民政に関与する常駐の地方長官としての性格にかわり,15世紀中ごろに定制となって明末にはその数が20余に及んだ。本来は文官であるが軍事を兼ねることが多く,総督と合わせて督撫ということもある。清も明制に従って総督とともに1省の長官としたが,総督の品級が従一品であるに対して巡撫は従二品で,その管轄区域も通常,総督は2,3省を兼轄するが巡撫は1省を専管し,省により総督・巡撫を併任するところと,総督のみ,巡撫のみのところがある。…
…エリザベス女王はイギリス女王であるが,カナダの立憲制度上はカナダの女王も兼任している。それゆえカナダに不在中の女王の地位は連邦においては総督,州にあっては副総督に代表される。1952年に初のカナダ人総督が就任して以来,総督および副総督は内閣によって任命される職席となり,任期は5年である。…
…元来ネーデルラント各州の君主権代行職(州総督)。15世紀以降常設化され,行政長官と軍司令官を兼ねた。…
…当初は空位エンコミエンダの再割当てを行う権利を与えられていたが,その結果,スペイン人の間に不和対立が生じることになった。このように,副王は居住する地方の総督(ゴベルナドルgovernador),総監(カピタン・ヘネラルcapitan general)および首都にあるアウディエンシアの長官(プレシデンテpresidente)としてかなりの特権を掌握していたが,司法には直接関与することができず,他の地方の行政に対してももっぱら監視役を務めたにすぎない。すなわち,外見上権力は副王の手に集中していたが,その権力は理論的にも実際面でもかなりの制約を受けていた。…
※「総督」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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