日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブハラ」の意味・わかりやすい解説
ブハラ
ぶはら
Бухара/Buhara
中央アジア、ウズベキスタン共和国ブハラ州の州都。ボハラBokharaともいう。ゼラフシャン川が流れる低地に位置し、運河に面する。人口23万7900(1999)、27万7839(2019推計)。ブハラ州の地形はだいたい平坦(へいたん)で、降水量は少なく、カラクール種ヒツジの飼育地帯であり、養蚕も盛んである。それゆえブハラ市にその関連産業が発達している。とくに上等の巻毛羊皮、帽子、外套(がいとう)など、カラクール種ヒツジの加工製品は世界的に有名である。金糸・絹糸の伝統美術工芸品の製造でも知られている。また、天然ガスが産出し、ロシア中央部、ウラル、南カザフスタンにパイプラインで輸送されるとともに、工業の発達も顕著である。首都タシケントやトルクメニスタンの首都アシガバートに通ずる中央アジア鉄道の駅がある。シルク・ロードの重要地点として栄え、いまでも古い町並みが残る。1993年には世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[山下脩二]
歴史
イスラム時代以前の歴史には不明な点も多いが、遅くとも西暦1世紀には、現在の地に町が建設されていた。7世紀の中国文献で、ブハラは安国と記され、イスラム文献にブハール・フダートBukhār Khudātとみえる、イラン系ソグド人王朝の支配下にあった。アラブ軍の占領後、8世紀初頭から徐々にイスラム化し、9~10世紀にはサーマーン朝の首都となって、イスラム学術・イラン文化の中心地となった。1220年にチンギス・ハンによって破壊されたが、まもなく復興し、16世紀からブハラ・ハン国の首都として、西トルキスタンの政治・経済・文化の中心地となっていった。18世紀以降ロシアとの通商関係が緊密化するなかで、一大商業都市として発展した。革命によってブハラ人民ソビエト共和国(1920~24)の首都となったが、ウズベク・ソビエト社会主義共和国(1924~91)成立後、1928年にブハラ州の州都となった。1991年のソ連崩壊によるウズベキスタン共和国の独立によって、同国領となった。
[堀川 徹]