チンギス・ハンの第2子チャガタイ・ハンを祖とし、中央アジアを支配したモンゴル国家。チャガタイ・ハンはイリ渓谷にオルド(幕営)を構えたが、統治権はもたず、カラコルムのハン中のハンである大ハンの権威下に中央アジアに一定の影響力を行使したにとどまり、彼以後のハン位継承も大ハンの意のままに操られた。しかし、1260年代の大ハン位をめぐる「アリク・ブハの乱」および「ハイドゥの乱」に乗じて、アルグー(在位1260~66)、ついでバラーク(在位1266~71)が中央アジアの支配権を掌握して勢威を築き、ハイドゥによって一時その権力をそがれたが、ハイドゥの没後、バラークの子ドゥワ(在位1282~1307)がオゴタイ家勢力を駆逐して支配権を奪還し、1306年チャガタイ・ハン国を確立せしめた。
貨幣制度の整備などを通じて中央集権化の実をあげたケベク(在位1318~26)の時代に最盛期を迎えたが、定住化政策をとったタルマシリン(在位1326~34)が遊牧派勢力によって打倒されたのち、同国はパミールを境に東西に分裂した。以後、西ハン国では実権は遊牧貴族層アミールに奪われ、やがてティームール帝国に吸収されたが、東ハン国(モグリスタン・ハン国)では17世紀ごろまでチャガタイの後裔(こうえい)が支配権を維持し続け、やがてイスラム宗教貴族層ホージャにとってかわられた。
[加藤和秀]
チンギス・カンの第2子チャガタイの名に由来し,その子孫たちを君主とする中央アジア地域の政権の通称。チャガタイ・ウルスともいう。イリ河畔のアルマリクなどを拠点とし,オアシス地域も統治した。14世紀半ばに東西に分裂し,西部の政権は消滅したが,東部の政権はいわゆる東チャガタイ・ハン国(モグーリスターン・ハン国)として存続する。天山山脈北側の草原地帯を拠点として南側のタリム盆地周縁オアシス地域を勢力下に置いた。15世紀後半,カザフ人やウズベク人など新興の遊牧勢力の進出によって衰退する。支配者集団は天山南側のオアシス地域に分散して定着し,同時にトルコ化した。16世紀の前半には,カシュガル・ハン国が成立した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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