改訂新版 世界大百科事典 「ミールザータキーハーン」の意味・わかりやすい解説
ミールザー・タキー・ハーン
Mīrzā Taqī Khān
生没年:?-1852
イランのカージャール朝中期の改革的政治家。通称アミール・カビールAmīr Kabīr。同朝第3代のモハンマド・シャーの宰相カーエム・マカームの料理人の子として生まれたが,主家の引立てでアゼルバイジャン州の要職を歴任した。1848年,ナーセロッディーン・シャーの即位と同時に宰相に就任,近代化政策を断行した。バーブ教の宗教運動で社会的に混乱し,財政の枯渇と軍隊の脆弱で揺らぐカージャール朝体制を立て直すために伝統産業,とくにヨーロッパの綿製品の輸入で打撃をうけた織物業を保護育成し,ガラス,砂糖,武器製造の新産業の振興に努めた。また,ヨーロッパの学問,技術を取り入れるため,1851年,ヨーロッパ式のカリキュラムに基づく高等教育機関ダーロル・フォヌーンDar al-Funūnを設立した。彼の改革事業は必ずしも成功せず,51年11月,宰相の職を解かれ,翌年1月,幽閉先のカーシャーンで処刑された。
執筆者:坂本 勉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報