ヤップアロイ(その他表記)Yap Ah Loy

改訂新版 世界大百科事典 「ヤップアロイ」の意味・わかりやすい解説

ヤップ・ア・ロイ (葉亜来
)
Yap Ah Loy
生没年:1837-85

マレーの華僑指導者。広東省恵州の客家(ハツカ)の一族に生まれ,1854年マレーに移住し,スズ鉱山の労働者となった。のち各種の職業を転々とする間にしだいに頭角を現し,62年クアラ・ルンプルに移り,69年同地の第3代中国人カピタンとなった。当時クアラ・ルンプルを含むセランゴール王国は分裂し,中でもトゥンク・クディンとラジャ・マフディの対立が激しかった。ヤップはトゥンク・クディンと手を結び,ラジャ・マフディと手を結んでセランゴールのスズ鉱山を支配下に収めようとした嘉応州客家の一団と対立した。両者ともシンガポールから傭兵を招き,73年クアラ・ルンプルの覇権をかけて決戦した。ヤップは一度は敗れたが,最後には勝利を収め,クアラ・ルンプルを支配下に置いた。のち彼はスズ産業に大きな影響力を行使する一方で,イギリスのセランゴール支配に協調的な態度をとった。
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