出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
… 19世紀後半に生産量を増加させつつあったコーヒーは自由派政権下で同国の主要輸出品となった。その間,ドイツ資本を支えとしていたコーヒーに対し,アメリカ資本のもとでカリブ海側と太平洋側の低地でバナナ栽培が拡大し,20世紀初頭にはアメリカ企業ユナイテッド・フルーツ社が同国内で強大な権益を獲得した。バナナの積出港プエルト・バリオスとグアテマラ市および太平洋側のサン・ホセを結ぶ鉄道を敷設したのも同社である。…
…主要農産物のコーヒーは40年代から輸出されていたが,特に70年から82年に及ぶトマス・グアルディア将軍の統治下でコーヒー産業は発展した。他の中米諸国の例に漏れず,19世紀末からはバナナ栽培も盛んになり,アメリカ合衆国のユナイテッド・フルーツ社が国内で大きな勢力を築き上げた。90年には中米で初めてという公正で自由な選挙が行われ,ホセ・ホアキン・ロドリゲスが大統領に就任したことは,同国人が誇りにしている。…
…1953年から58年にかけて同国の大統領となり,中道左派政策を促進した。銀行を国有化し,ユナイテッド・フルーツ社の利益の同国への支払を10%から30%に増やした。70年に再選されたのち,米州機構のキューバに対する包囲政策に反対し,また社会主義諸国との友好政策を促進した。…
…国内では保守派が自由派と抗争を繰り返し,その間にアメリカはバナナ栽培と,その輸送用の道路・鉄道をほぼ完全に支配した。1902年にユナイテッド・フルーツ社,05年にスタンダード・フルーツ社がバナナ生産に加わり,今日に至るまで政治的・経済的に大きな影響力を保っている。アメリカ資本が現地労働者と引き起こした摩擦のため,20世紀初めに何度もアメリカ軍が介入を行った。…
…本社ニューヨーク。1899年,バナナの輸入販売会社ボストン・フルーツ社(1885設立)と中米のコスタリカでバナナ園経営に成功したキースMinor Cooper Keith(1848‐1927)の関連会社十数社が合併してユナイテッド・フルーツ社United Fruit Co.としてニュージャージー州に設立された。その後,中南米でのバナナ園経営を拡大する一方,鉄道,海運,倉庫,保険などの事業に進出,中南米におけるバナナの栽培,輸入,販売をほぼ独占する大植民地企業となった。…
※「ユナイテッド・フルーツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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