改訂新版 世界大百科事典 「ラクタンティウス」の意味・わかりやすい解説
ラクタンティウス
Lucius Caelius(Caecilius) Firmianus Lactantius
3世紀後半から4世紀初めのキリスト教神学者。生没年不詳。北アフリカ,ヌミディア地方のシッカという小都市で異教徒の家庭に生まれ,修辞学の教育を受けて修辞学教師となった。しかし3世紀末にディオクレティアヌス帝の注目を受け,教師として帝都ニコメディアに招かれる。キリスト教への改宗はこの地でのことであり,およそ300年ころであったらしい。やがてキリスト教大迫害が勃発すると,不遇の生活の中で神学の著作に取り組んだ。〈ミラノ勅令〉によってキリスト教が公認(313)されたころ,コンスタンティヌス帝が居を構えるトリールに赴き,最晩年の数年間,宮廷神学者として帝の宗教政策に関与した。主要著作には《神学体系》《神の怒りについて》などがある。彼のラテン語は平明であり,文学史上の評価を受けている。その神学には,キケロやヘルメス文書などヘレニズムの強い影響が見られ,思考は体系にむかっている。ルネサンス期にはアウグスティヌス以上に尊ばれた。
執筆者:柴田 有
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報