宮城県南部、柴田郡の町。1956年(昭和31)船岡、槻木(つきのき)の2町が合併して成立。阿武隈(あぶくま)川と支流白石(しろいし)川の合流点付近に位置し、船岡、槻木の二つの小盆地よりなる。鉄道はJR東北本線、阿武隈急行が通じる。また国道4号、349号が走る。1995年(平成7)阿武隈川に槻木大橋が架かり、対岸の角田(かくだ)市とつながった。中心地区は船岡、槻木の二つに分かれる。船岡には、江戸初期には『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』に取り上げられた伊達騒動で有名な仙台藩重臣原田甲斐(かい)の居城があったが、のち柴田氏の所領となった。サクラの名所として知られる船岡城址(じょうし)公園として整備され、隣接して町の歴史、文化や産業を伝える「しばたの郷土館」が設置されている。大光寺は1687年(貞享4)芭蕉(ばしょう)が訪れた際、「名月や池をめぐりて夜もすがら」の名句を残した所。槻木は、仙南の諸盆地から仙台平野への出口にあたり、古来軍事、交通の要衝として憚(はばかり)の関が設けられ、近世には奥州街道の宿場町として栄えた。二つの集落を中心に工場群の進出が多く、また仙台への通勤者も増加している。槻木地区の北東にある四日市場(よっかいちば)は藩政時代には河岸(かし)があった所。槻木地区の「雨乞のイチョウ(あまごいのいちょう)」は国指定天然記念物。面積54.03平方キロメートル、人口3万8271(2020)。
[長谷川典夫]
『『柴田町史』全5巻(1983~1992・柴田町)』
宮城県南部,柴田郡の町。人口3万9341(2010)。阿武隈川と白石川の合流点付近に位置する。仙台平野への入口にあたる要衝の地で,白石川南岸にある船岡の船岡館は戦国時代に伊達氏の臣で柴田氏の祖である四保定朝が拡張し,のち伊達騒動で有名な原田甲斐の居館となった。原田氏断絶後は柴田氏が館主となり,同氏の菩提寺大光寺が現存する。阿武隈川沿いの槻木(つきのき)は江戸時代,奥州街道の宿場町として栄えた。米作を中心に野菜や花卉がつくられるが,なかでも露地菊は東北一の産地である。1960年代から機械,金属,食品,コンクリート製品などの工場が船岡の旧海軍火薬厰跡地などに進出し,内陸工業地域としても発展している。東北本線が通じ,槻木から阿武隈急行が分岐し,近年は仙台のベッドタウンとして宅地化が進んでいる。富沢磨崖仏,雨乞のイチョウ(天)があり,白石川堤防の一目千本桜は名所として知られる。
執筆者:千葉 立也
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