有神論をとる個別宗教の信仰や教義をその立場で研究する学問。日本語では神典,神道を研究する学問をさしたが,現在では英語theologyの訳語として主としてキリスト教神学をさして用いられる。theology(ドイツ語Theologie,フランス語théologie)はギリシア語のテオスtheos(神)についてのロゴスlogos(言論,教え,説明)を原義とするテオロギアtheologiaに由来する。この語は元来ギリシア宗教の神々について神話論的に物語ることを意味した。しかしアリストテレスは哲学的・形而上学的な原理としての神について論じ,この学問をテオロギケtheologikēと呼んだ。それゆえ神学の語には神話論的神学と学問的神学の両義が含まれることになる。ユダヤ教と原始キリスト教にはこれらの語は知られていない。キリスト教に神学の語を導入したのは,ギリシア思想と初めて深い交渉をもった2世紀の弁証論者である。それ以後キリスト教では,狭義には神の本質にかかわる神論,広義には信仰と教義を研究する学問的努力の全体をさす呼称として用いられている。宗教学的な概念としては,ユダヤ教,イスラム教などの有神論的宗教がみずからの宗教性に基づいて自己のあり方を学問的方法をもって反省,解明,説明する,特殊宗教の自己理解の学問的試みを意味する。この点で神学は,宗教を普遍性に基づいて哲学的に研究する宗教哲学とも,客観的・実証的に研究する宗教学,宗教史とも異なる。
キリスト教神学は一般的な神概念や普遍的な宗教意識に基づくのではなく,信仰に発する学問として信仰の成立根拠をなす,人間に対する神の自己開示である啓示に基づいて成立する。神学の固有性は自然的な理性認識によっては達せられない啓示に基づく啓示神学である点に認められる。啓示の内容,範囲,方法についての理解はさまざまな立場によって必ずしも同じではないが,啓示を恩恵として受容する信仰によって啓示の認識が可能になると考えられることは共通である。それゆえ神学は啓示認識,信仰認識といわれる。アウグスティヌス=アンセルムス的な定式〈理解を求める信仰fides quaerens intellectum〉はそれを表現している。また神と人間との関係として生起する啓示は,人間となった神,仲保者イエス・キリストによって現実化し,信仰はなによりもこのイエス・キリストに対する信仰であるから,神学の現実的出発点はイエス・キリストにある。キリスト論的であることが神学の実質的な性格である。実際,神学は歴史に現れた人間イエスを救い主である神の子キリストと信じることの意味を理解にもたらそうとする努力にはじまった。そしてこの中心から人間,歴史および世界の理解が目ざされた。このように包括的な意味では神学はいっさいのものの究極的な意味を神との関係において把握しようとする究極的な学問であり,いっさいのものの終極目的にかかわるという意味で終末論的な性格をもつ。しかし神学はその思惟を無制限に拡張せず,イエス・キリストのできごとの証言に焦点をもつ旧・新約聖書を啓示の源泉として,原則としてそこから導き出される認識にとどまる。それゆえ聖書を〈神の言〉として解釈する解釈学が神学の方法としてとくに重要である。信仰は信仰者の共同体としての教会によって保持,伝達,弁証され,具体的な力となって現れるから,神学は個人の恣意的な営みでなく,信仰者の責任的・共同的な営みである。神学の素材は信仰告白,教義,伝承など共同体の所産であり,これらを〈神の言〉との関係に即して吟味し,状況に応じた適切な言葉で新たに表現することは神学の重要な任務に属する。この意味で神学はすぐれて教会的な学問である。
神学の歴史は古く,その発展の姿は多様であるが,古代,中世,近代の3期に大別することができる。古代ではギリシア語,ラテン語,シリア語が神学の言語であり,このうちギリシア語やシリア語による神学は東方神学と呼ばれ,著しい発展を見た。東方教会(そのうち最も重要なのは東方正教会)の神学の基礎と伝統はここにある。ラテン語による神学は西方神学(またはラテン神学)と呼ばれ,2世紀末のテルトゥリアヌスにはじまり,5世紀初のアウグスティヌスにおいて大成を見たものである。中世の西方神学はこの伝統に立ち,ローマ・カトリック教会の神学を形成した。16世紀の宗教改革は東方,西方のいずれとも異なるプロテスタント神学を成立させ,近代語による神学の営みを開始させた。以上のような発展に応じて神学をになう神学者のあり方も変わっている。4世紀初めまでは高位聖職者のほかにもすぐれた神学者がいたが,やがて修道士や司教が神学のおもなにない手となり,中世に引き継がれる。しかし大学が成立してからは,これらの人々が神学教授となり,近代では専門化が進行して,厳密な意味での神学の専門教授が出現した。
古代東方神学はギリシア的なテオロギアの名称と思惟方法を取り入れてキリスト教を弁証しようとする2世紀のユスティノスらの弁証論者にはじまる。アレクサンドリアのクレメンスのあとをうけてこの方向で最初に体系的な神学を生み出したのは3世紀のオリゲネスである。その著《原理論》は教会的信仰を土台としつつ,解釈学的意図を明確にした聖書釈義を駆使して思弁的にも高度に展開された教義学である。彼の膨大な聖書注解は聖書解釈的神学のさきがけとして重要である。2世紀のエイレナイオスを含めてこれらの初期教父の神学は,グノーシス派(グノーシス主義)の覚知(グノーシス)の立場に対して信仰による認識の立場をギリシア的な思想を取り入れて普遍的に確立しようとする試みであった。それはその宇宙論的な規模での思惟の展開とともに,福音のギリシア化という大きな問題をはらんでいる。西方神学の伝統をひらいたテルトゥリアヌスはラテン語による神学的概念を多くつくり出した。4世紀から5世紀初めは神学の伝統が確立した時期である。東方ではアタナシオス,バシレイオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ニュッサのグレゴリオスらが三一神論の確立に努力した。また神礼拝を通して人間の神化が目ざされる修道的・霊的・神秘的な東方教会の神学の基礎がすえられた。西方最大の教父アウグスティヌスは回心体験によって深められたプラトン主義的哲学的思惟を用いて三一神論を解釈するとともに,恩恵と自由意志,教会について西方神学を規定する重要な仕事を行った。その著《神の国》はキリスト教的歴史観を展開した歴史の神学である。彼から11世紀のアンセルムスを経てスコラ神学が成立する。スコラ神学はアリストテレス哲学の強い影響を受けつつ,ペトルス・ロンバルドゥスの《命題集》など教義の綿密な解釈を行い,高度に論理的・演繹的な神学体系を構成した。トマス・アクイナスの《神学大全》がその代表的な成果である。神学と哲学,信仰と理性とが階層的調和にもたらされることによって,信仰の真理の学問的基礎づけとしての神学は完成され,ローマ・カトリック教会の神学の支柱となった。
ルターによる宗教改革はスコラ神学に対する神学方法上の革新でもあった。哲学的思弁から神学を解放して,ひたすら〈神の言〉に基礎づけるキリスト論的神学が主張された。カルバンは《キリスト教綱要》においてプロテスタント神学の基本的な見取図を提示した。ローマ・カトリック教会と東方教会の神学が伝統をよく保持したのに対して,プロテスタント神学は近代の諸潮流によって大きな影響をこうむった。ことに啓蒙主義以後,聖書解釈に歴史的・批判的方法が適用され,聖書神学が発展をとげると同時に,教義に対する合理的批判も盛んになり,自由主義神学の成立を促した。シュライエルマハーの《キリスト教信仰》は信仰の基礎づけを絶対依存の感情に見いだしている。彼の神学はドイツを中心にバウル,リッチュル,ハルナックらに大きな影響を及ぼした。聖書神学とともに,教会史,教義史を研究する歴史神学がプロテスタント神学の中で興隆した。しかし第1次世界大戦を契機としてあらわになった近代の危機的状況から,K.バルトを中心に従前の神学に対する激しい否の声がおこった。この弁証法神学はキルケゴールの実存主義の影響を受けているが,宗教改革の精神を新たに生かそうとするプロテスタント神学の努力である。バルトの《教会教義学》はプロテスタント神学の代表的著作である。以上のようにキリスト教の歴史のうちには東方教会の神学,ローマ・カトリック教会の神学,プロテスタント神学という三つの群が成立して現在に至っている。いずれの神学も現代の諸問題に直面して自己の伝統の再確認,再解釈を迫られ,相互対立を克服しての相互理解が求められている。
神学は多くの分科から成る。分け方や呼称は立場によって異なることがあるが,基本的には理論的部門と実践的部門に二分される。理論的(学問的)部門には,教義や思想を体系的に論ずる組織神学,教会史や教義史を研究する歴史神学,聖書を研究する聖書神学が含まれ,実践的部門は実践神学と呼ばれる。組織神学は教義学と倫理学とを含む。歴史神学は教会史を中心とし,教義史さらには諸教会,諸教派の相違を研究する信条学を含む。聖書神学は旧約を扱う旧約聖書神学と新約を扱う新約聖書神学とに分かれる。ただし,聖書の研究が文献学的,歴史学的になされ,神学的関心が乏しい場合には,聖書学,旧約学,新約学などともいわれる。実践神学は教会の礼拝,信徒の指導などキリスト教生活の実際面にかかわる神学的問題を研究し,多くの分科を有する。ことに重要なものは伝道学(宣教学)である。このほか神学には,教会法,キリスト教考古学,キリスト教美術史など関連学科が多く,神学の研究は大学あるいは学部規模の研究機関で行われるのが普通である。
執筆者:水垣 渉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
特定の宗教、宗派の立場にたって、その信仰内容や対象、根拠などを論じ、またその信仰生活に関連する諸問題について反省的かつ体系的に研究する学問。
[田丸徳善]
神学という語はtheologyまたは同義の近代ヨーロッパ語からの訳語であるが、この原語そのものが、長い歴史的過程に由来するいくつかの位相を含んでいる。語源であるギリシア語のテオロギアtheologiaは、「神(々)についてのことば」をさし、ほぼ今日の「神話」に近い。たとえばアリストテレスは、ホメロスやヘシオドスなどの神話文学者を神学者と名づけ、彼が自然学者とよぶ哲学者たちから区別した。もっとも彼は、他方、存在の最高の認識としての形而上(けいじじょう)学を「神学」theologikēとも称したが、全体としては神学=神話の意味が強かったとみられる。ともあれ、ギリシアでは、神話と哲学との両面を包括する神学の概念は成立しがたかったといえる。
こうした前史をもつテオロギアの語は、他の多くの概念とともにキリスト教に摂取されて、しだいに定着した。しかし、その内容はキリスト教の基本的な教えというほどの意味であって、「聖なる教説」sacra doctrina、「信仰の教説」doctrina fideiという表現と異なったものではなかった。これに対し、学問としての神学が現れてくるのは、概していえば盛期スコラ学の時代からであって、それは中世における大学の成立とも関連している。すなわち、13世紀前半ごろから、パリなどの大学で「神学」ないし「神学部」facultas theologicaという呼称が用いられるようになったとされる。もちろん、それによってただちに「聖なる教説」が死語になったわけではないが、ほぼこのころ以降、弁証的な学問としての神学の概念が成立し、現在に至ったものとみてよいであろう。
[田丸徳善]
前記のような歴史の背景からして、「神学」という術語の適用にあたっては、いくつかの点に留意しなければならない。第一は、それが教説(宗教思想)そのものと、それについての学問的反省との2要素を含んでいることである。しかも、両者の関係は時とともに変化する。ある時代の反省の産物は、やがて反省さるべき対象たる教説そのものに転化する。このことは、次に、神学概念の遡及(そきゅう)的な使用の問題とかかわる。学問としての神学は比較的新しく中世以降のものといえるが、それはしばしば以前にさかのぼって用いられている。たとえば「パウロ神学」「預言者の神学」などである。これらは「パウロの宗教思想」「預言者の教え」などというほどの意味と解して差し支えなかろう。さらに問題となるのは、その拡大適用である。上述のように、それは西欧的キリスト教の地盤でもっとも典型的に展開したものであるが、とくに近年、それ以外の宗教にも類比的に用いられることが多くなった。たとえば「イスラム神学」「神道神学」などといわれ、ときには「未開人の神学」という表現さえある。ただ、神の観念を中核としない仏教などについては、「神学」は不適切であるから、かわりに「教学」ないし「宗学」というのが通例である。
[田丸徳善]
最初に掲げた定義は、すでにこの拡大された用法によるものであるが、この意味での神学の性格としていくつかの点が指摘できる。まず第一に、その対象からみれば、神学はつねに歴史的に特定の宗教を基盤とし、また資料として成立するものである。他の宗教について論及するとしても、それはこの特定宗教と関連する限りにおいてである。これは、原則として複数の宗教、あるいは宗教一般を対象とする宗教学や宗教哲学と異なる点である。このことは、第二に、その方法、つまり認識態度や目標とも密接にかかわっている。神学はある宗教への主体的な決断を前提とするから、いわゆる客観的ないし記述的な学問ではない。神学は信仰のあるべき姿を追求する「規範的」なものであるとか、伝統の権威に依存するとかいわれるのは、これを指摘したものである。ただそれは、あくまでもその基本的前提についてであって、実際の論議の過程で通常の合理的な基準を無視してよいという意味ではない。第三に、以上のことをやや別の角度からすれば、神学という作業はなんらかの伝統または世界観的共同体(キリスト教の用語でいえば教会)を背景として遂行されるものである。この作業の担い手である神学者は、その範囲や構成がいかなるものであれ、つねにそうした共同体において、またそれに向かって、信仰の内容を解釈することを任務とする。しかし、共同体の置かれた社会的、文化的な状況は、けっして固定したものではなく、絶えず変わりゆくものでもある。神学が不断に新しい課題に直面し、自らを形成してゆくその歴史性は、ここに由来する。
[田丸徳善]
キリスト教の真理を解明,弁証する学問。キリスト教がギリシア,ローマの異教や異端との対決の過程に,その必要が生じ,オリゲネスが基礎を置き,アウグスティヌスが体系づけた。中世にはトマス・アクィナスがスコラ哲学として大成,ルター,特にカルヴァンは聖書にもとづくプロテスタント神学を唱えた。現代のバルト,ブルンナーもこの立場を発展させた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
… 宗教に関する学問は,古く,神の存在・非存在,悟りの実現の有無など実証や検証が不可能な問題を形而上学的に論ずるところから出発した。それをキリスト教・イスラム文化圏では神学といい,仏教文化圏では教学・宗学と呼んだ。ところが,とくにヨーロッパにおいて16世紀の宗教改革,17世紀の自然科学の興隆や近世哲学の展開にともない,宗教の本来のあり方を理性の光に照らして体系化しようとする動きがおこった。…
※「神学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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