改訂新版 世界大百科事典 の解説
ラージャゴーパーラーチャーリア
Chakravartī Rājagopālāchāriar
生没年:1878-1972
インドの政治家。南インドのマドラス州(現,タミル・ナードゥ州)セーラム県に生まれる。通称はラージャージーRājājī。1900年から弁護士を開業するが,同時に民族運動にも強い関心を示し,19年のサティヤーグラハ(非暴力抵抗)闘争では弁護士業を放棄してマハートマー・ガンディーに従い,その思想の影響を受ける。37年の州自治制度の導入に当たってマドラス州に国民会議派州政府が成立すると,その首相となり,民族教育や禁酒を推進する。会議派指導者としては最初にインド・パキスタン分離独立の不可避性を主張。インド独立後,インド人として最初にして最後のインド総督(1948-50)を務め,50-51年中央政府内相,52-54年にはマドラス州首相。のちネルーの進歩的諸政策に反対して会議派を離れ,59年には地主や旧藩王,一部の資本家勢力を代弁するスワタントラSwatantra(自由)党を結成する。《マハーバーラタ》などのインドの古典や宗教書の研究者としても知られ,著書も多い。
執筆者:内藤 雅雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報