ラービフ(英語表記)Rābiḥ

改訂新版 世界大百科事典 「ラービフ」の意味・わかりやすい解説

ラービフ
Rābiḥ
生没年:1840ころ-1900

西アフリカのナイジェリア北東部を支配したボルヌー帝国の征服者で,スーダン出身の奴隷商人。ハルトゥーム付近の貧しい家に生まれた。1865年ころよりスーダン南部のバフル・アルガザール州の実質上の支配者ズバイル・ラフマーン・パシャ父子のもとで奴隷貿易に従事し,73年にはズバイルの軍隊の司令官に就任した。奴隷貿易を禁止したエジプト政府軍との衝突後,南部のダルフール地方などで奴隷貿易に従事しながら〈ラービフ帝国〉の建設に着手した。85~89年の4年間はマフディーの名により戦っているが,これは,ラービフがスーダンのマフディー派の運動に同調したというよりも,サヌーシー派の有力者であるスルタンを頂くワダイ王国に反発する人々を味方につけて,ワダイの属国を征服する手段であったとみなされる。92年12月にバギルミー王国を,さらに翌年4月にはソコト王国のハヤツ・ブン・サイードの協力もあってボルヌー征服を達成した。しかし,97年以降フランスの侵略に直面し,1900年のクッスリ決戦で戦死した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のラービフの言及

【チャド】より

…北部は9世紀以降カネム・ボルヌー帝国に属し,早くからイスラム化した。帝国は南部住民の奴隷狩りに経済的繁栄の基礎を置いていたが,19世紀には帝国を征服した奴隷商人出身のラービフによって奴隷交易はいっそう強化された。南部のサラ族(人口の約30%を占める)をはじめ,ブーム族,ラカ族,ムンダン族,トゥブリ族などのバントゥー系諸部族には,集権的な政治組織が欠如していたため,北部の支配を甘受せざるをえなかった。…

※「ラービフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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