しかし、南部の経済発展は容易には進まず、1983年からふたたび内戦が開始された。1984年以後、開発政策の失敗と干魃(かんばつ)や難民流入などにより経済危機が深まり、食糧暴動やゼネストが発生、1985年4月国防相ダハブSuwar al-Dahab(1934―2018)の率いる政府軍が軍事クーデターを断行、ヌメイリ政権は打倒された。ダハブ軍事政権は新暫定憲法を制定、1986年1月国名をスーダン共和国に改称した。同年4月民政移管のための総選挙が実施され、ウンマ党の党首マフディーSadiq al-Mahdi(1935―2020)を首班とする政府が成立した。マフディー政権と南部を基盤とする解放戦線SPLM/SPLA(スーダン人民解放運動/スーダン人民解放軍)との間で和平交渉が進展していたが、1989年6月軍部がクーデターを起こし、バシールOmar Hasan Ahmad al-Bashir(1944― )将軍が実権を掌握した。
◎正式名称−スーダン共和国al-Jumhuriya al-Sudaniya/Republic of the Sudan。◎面積−188万1000km2。◎人口−3915万人(2008)。◎首都−ハルツームKhartum(141万人,2008)。◎住民−北部ではアラブ,南部ではナイル系,スーダン系の多数の民族。◎宗教−北部ではイスラム(スンナ派),南部ではキリスト教が優勢。ほかに土着宗教。◎言語−アラビア語(公用語),ディンカ語,ヌエル語など。◎通貨−スーダン・ポンドSudanese Pound。◎元首−大統領,オマル・ハサン・アフマド・アル・バシールOmer Hassan Ahmed AL-BASHIR(1944年生れ,1989年6月クーデタで政権獲得,1993年10月就任,2015年4月6選,任期5年)。◎憲法−2005年7月暫定憲法施行。◎国会−国民議会(定員450,任期6年)。◎GDP−584億ドル(2008)。◎1人当りGNP−810ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−58.3%(2003)。◎平均寿命−男60.3歳,女63.9歳(2013)。◎乳児死亡率−66‰(2010)。◎識字率−69%(2008)。 * *アフリカ北東部の共和国。ナイル川上流部,青ナイル,白ナイルの流域にあり,全般に標高200〜500mの高原で中央部にコルドファン高原,西部には標高3071mに達するマッラ山脈がある。北緯4°〜22°にあり,北部は乾燥地帯,南部は高温多湿の熱帯雨林。住民の大部分が農業,牧畜に従事し,綿花,アラビアゴムが重要輸出品。他に穀類,デーツ,ラッカセイ,コーヒー,米などの産がある。牧畜は牛,羊,ヤギ。工業は小規模な食品工業。金,銅,マンガンなど鉱産資源もあるが未開発。灌漑(かんがい)施設の拡充など経済開発計画が進められている。 古代からエジプト,エチオピアと密接な関係にあり,7世紀以後アラブ人が移住,イスラム化が進んだ。1881年からのマフディー派の民族独立運動を制して,1899年英国,エジプト両国の共同統治領とされ,アングロ・エジプト・スーダンとなった。1956年共和国として独立したが,その前後から,植民地時代に形づくられた〈アラブ・イスラムの北部〉と〈アフリカ系・非イスラムの南部〉の対立のため,内戦が続いていた。1969年のクーデタで政権についたヌメイリ政権下では和平が成ったが,イスラム法の施行や南部政策の失敗のため,第2次内戦となった。さらに1983年南部でスーダン人民解放軍/スーダン人民解放運動(SPLA/SPLM)が結成され,エチオピアの支援を受けて戦闘は激化した。1989年には〈民族イスラム戦線〉がクーデタで政権について強権体制を進めたため,和平への展望は暗いが1998年7月には3ヵ月の停戦合意がなされた。内戦の死者は200万人にのぼると見られる。バシール大統領はスーダン人民解放軍との和平交渉を進め,2005年1月双方は包括和平合意に調印し,この結果,南に南部スーダン自治政府が樹立された。その後,2011年1月南スーダンで独立の是非を問う国民投票が行われ,スーダンからの分離独立派が勝利し,同年7月9日に独立,ただちに,国連に加盟を認められた(2011年7月14日)。しかし国境地帯の油田の領有権をめぐって紛争が続き,2012年4月,スーダンのバシール大統領は〈SPLMから南スーダン国民を解放する〉と宣言,南スーダンの石油輸出を武力で阻止するとして,南スーダンへの空爆を始めた。国連はアフリカ連合の支援の下で即時停戦と両国の交渉を呼びかけ安全保障理事会で決議し,5月スーダンは決議を受け入れ,係争地からの双方の撤兵と和平協議が再開され,両国政府は南北交渉及び首脳会談を経て,9月2国間の未解決課題に関する包括的な9つの合意文書に署名した。しかし,最大の原資である油田の大半を南スーダン独立で失うスーダンの経済的打撃は大きく,さらに戦費もかさみ,国内反政府勢力の動きも活発で両国間のみならず国内的にも危機的な状況が続いた。2013年12月南スーダンでは前副大統領の率いる軍の一部がクーデタを起こし内戦となった。2013年10月,バシール大統領は2015年の総選挙・大統領選挙の実施を宣言(NCP(与党国民会議党)は2014年10月にバシールを次期大統領候補に選出)。また,2014年1月に国内和平,政治的自由,貧困対策,アイデンティティを議題とする〈国民対話メカニズム〉を開始し,野党(国民ウンマ党など)や反政府勢力との政治的対立の解消を目指している。 →関連項目ウサマ・ビン・ラディン