改訂新版 世界大百科事典 「マフディー派」の意味・わかりやすい解説
マフディー派 (マフディーは)
19世紀東スーダンに成立した教団。成員はアンサールと自称する。1881年ムハンマド・アフマドのマフディーmahdī宣言とともに開始されたマフディー反乱を通じて,終末論的なジハードを目ざす教団国家を形成,スーダン人の民族意識を生んだ。スンナやタフシール(コーラン注釈)に関する書物を焼き,コーラン,ラーティブ(ジクル集),マジュリス(マフディーのスンナ)を重視し,礼拝,ジハード,神の命令への服従,信仰告白,コーラン読誦,ラーティブ読誦をもって六柱とした。
85年にマフディーが死ぬと,カリフ,アブド・アッラーフ・ブン・ムハンマド`Abd Allāh b.Muḥammad(1846ころ-99)がこれを率いたが,98年同国家はイギリス軍に滅ぼされた。以後,教団は革命的性格を失い,しだいに親英的立場に移行したが,エジプトとの統合に反対してスーダンの独立を求めるウンマ党の基盤となり,ミールガニー派(ハトミーヤ)と対立しつつ政治的影響を保持した。マフディーの子孫が教団のイマーム,ウンマ党党首となったが,1970年軍事政権下で弾圧され,同年イマームの暗殺後はイマームを置いていない。
執筆者:板垣 雄三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報