現代外国人名録2016 「リッキーヘンダーソン」の解説
リッキー ヘンダーソン
Rickey Nelson Henley Henderson
- 職業・肩書
- 元大リーグ選手
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1958年12月25日
- 出生地
- イリノイ州シカゴ
- 受賞
- MVP(アリーグ)〔1990年〕
- 経歴
- 1976年ドラフト4巡目でアスレチックスに入団し、’79年大リーグに昇格。’80年アリーグ記録となる100盗塁で盗塁王を獲得。’82年には前人未到のシーズン130盗塁を記録。’85年ヤンキースへ移籍。’86年7年連続盗塁王に輝く。’89年再びアスレチックスに戻る。快速スラッガーぶりを発揮し、’89年チームのワールドシリーズ制覇に貢献。’90年アリーグMVPを獲得。’92年5月大リーグ史上初の通算1000盗塁を達成。’93年ブルージェイズに移り、同年6月日本の福本豊(元阪急)の記録を抜く1066盗塁の世界記録を樹立。’94年アスレチックス、’96年パドレス、’97年エンゼルス、’98年アスレチックス、’99年メッツ、2000年マリナーズ、2001年パドレスでプレー。同年大リーグ記録を66年ぶりに更新する通算2063四球、73年ぶりに更新する通算2247得点を記録、史上5人目となる3000本安打も達成した。同年シーズン終了後自由契約となり、レッドソックスに移籍。2003年独立リーグのニューアークでプレー後、後半戦からドジャースと契約し、大リーグに復帰。2004〜2005年も独立リーグでプレー。通算成績は、3081試合出場、1万0961打数3055安打、297本塁打、1115打点、1406盗塁、打率.279。25シーズンでアリーグ盗塁王12回(1980〜86年,’88〜91年,’98年)、歴代最多記録の1406盗塁、2295得点、2179四球の大リーグ記録を持ち、“史上最高のリードオフマン”と称された。ゴールドグラブ賞1回(’81年)、オールスター出場10回(’80年,’82〜88年,’90〜91年)。珍しい左投右打だった。2007年メッツの打撃コーチとしてメジャーに復帰。2009年大リーグ殿堂入りを果たす。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報