日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルツリ」の意味・わかりやすい解説
ルツリ
るつり
Albert Myumbi Luthuli
(1898―1967)
南アフリカの黒人解放運動指導者。宣教師であった父の赴任先ローデシアのソールズベリー(現、ジンバブエのハラーレ)で生まれる。1908年南アフリカに帰り、ナタール(現、南アフリカ共和国クワズールー・ナタール)のアダムズ・カレッジ卒業後、同校の教師となる。1945年黒人解放組織アフリカ民族会議(ANC)に入党。1951年同党ナタール支部長、ついで翌1952年ANC議長に選出された。南ア政府のアパルトヘイト政策に対し、ガンディー流の非暴力抵抗を主張し、1952年の抗議キャンペーンによって逮捕(2年間投獄)、さらに1954年のナタールでの人民集会での自由憲章採択によって再逮捕。1956年には反逆罪で同志145名とともに逮捕され1年後に釈放。1959年以降、自宅拘禁処分を受け政治活動を禁止されたが、1960年3月のシャープビル事件(反アパルトヘイト集会に対する白人警官隊の無差別発砲事件)には自ら身分許可証を焼き抗議した。同年、反アパルトヘイト運動によりノーベル平和賞を受賞。1967年7月21日鉄道事故で死亡。自伝『Let My People go』(1962)がある。
[林 晃史]