反アパルトヘイト(人種隔離)闘争を率いた南アフリカの政治組織。1912年に結成され、23年にANCと改称。非暴力主義に立っていたが、60年の黒人虐殺事件を機に武装部門を設立。非合法化され、英米から「テロ組織」と目された。94年の初の民主選挙に圧勝し与党となったが、2024年の総選挙で初の過半数割れに至った。
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略称ANC。南アフリカ共和国における黒人の民族運動組織・政党。1910年の南アフリカ連邦結成直後、政府が原住民指定地制度を導入した原住民土地法案に反対して、1912年ヨハネスバーグの黒人を中心に南アフリカ原住民民族会議(1923年にアフリカ民族会議と改称)が結成され、委員長にデューベ、書記長にプラーキが選ばれた。その目標は反人種主義の立場から黒人の権利を擁護することにあったが、その手段は請願、代表派遣、プロパガンダなどの合法的なものであり、ガンディーの非暴力主義の影響を強く受けていた。第二次世界大戦中、ANC内の青年層が穏健な手段に反対して分裂し、1943年青年同盟を結成、タンボ、シスルWalter Sisulu(1912―2003)、マンデラらも加わった。そして第二次世界大戦終了後の1948年国民党政権が成立し、アパルトヘイト政策を強化すると、ANCもそれに対抗して武力闘争路線を採択し、1952年の抗議キャンペーン、1955年の自由憲章の採択など幅広い抗議行動を行ったが、そのため多くの指導者が捕らえられた。1959年にはANC内過激派が分離してパン・アフリカニスト会議(汎(はん)アフリカ人会議、PAC、議長ソブクウェ)を結成、翌1960年3月にはPACのデモに白人警官隊が無差別発砲し、多くの死傷者を出すシャープビル事件が起こった。この事件直後ANC、PACともに非合法化され、それぞれ海外に活動の本部を移し、国外から反人種主義運動を行った。1970年代後半から都市部を巻き込んだゲリラ活動を展開した。1990年2月に非合法化が解除され、以来、現実路線に転じ、白人政府との交渉の主体となった。1994年4月の全人種参加の総選挙では有効投票の62.6%(400議席のうち252議席)を獲得して第一党となり、政権を担当、5月に議長のマンデラが大統領に就任した。1995年11月の統一地方選挙でも圧勝。その後、マンデラは1997年末でANCの議長職を退き、後任党首にはターボ・ムベキThabo Mbeki(1942― )が就任。1999年6月の第2回総選挙でも、ANCは得票率66.35%を獲得、第一党となり、ムベキが大統領に就任した。
[林 晃史・奥野保男]
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…略称ANC。アフリカ民族会議とも訳される。1912年,原住民土地法案に反対して弁護士P.I.セメの呼びかけにより結成された南アフリカ原住民民族会議が23年に改称したもの。…
※「アフリカ民族会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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