ソールズベリー(読み)ソールズベリー[こう](英語表記)Robert Arthur Talbot Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソールズベリー」の意味・わかりやすい解説

ソールズベリー(侯)
ソールズベリー[こう]
Salisbury, Robert Arthur Talbot Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of

[生]1830.2.3. ハットフィールド
[没]1903.8.22. ハットフィールド
イギリスの政治家。首相(在任 1885~86,1886~92,1895~1902)。オックスフォード大学に進んだが,病弱で中途退学。世界旅行をしたのち,1853年リンカーンシャーのスタンフォードから選出されて下院議員になった。1867年ダービー内閣インド大臣,翌 1868年ベンジャミン・ディズレーリの選挙法改正法案に反対して辞職。1869年父の侯爵位を継承して第3代ソールズベリー侯となる。1874~78年ディズレーリ内閣で再度インド大臣に就任,1876年コンスタンチノープル会議全権委員を務めた。1878年政府の措置を不満として外務大臣を辞したダービー伯のあとをうけて外相に就任,まだ官報の公示もすまないうちに,「ソールズベリー回状」として知られる電報を列強に送り,露土戦争終結に関するイギリスの立場を承認させ,ディズレーリ首相とともにベルリン会議に出席,同 1878年7月ベルリン条約を締結させた。その後保守党党首として 3度首相となり,在任最後の 1年半を除いて外相を兼任。世界分割に加わる一方,「光栄ある孤立」といわれたヨーロッパの協調を守る外交政策を推進した。1900年11月外相の地位をランズダウン侯に譲り,1902年日英同盟成立後,甥のアーサー・J.バルフォアに地位を譲って引退。

ソールズベリー
Salisbury

イギリスイングランド南部,ウィルトシャー南東部の都市。旧称はニューサラム New Sarum。サウサンプトンの北西約 35km,エーボン川とその支流のワイリー川の合流点に位置する。市の北郊オールドサラムに築かれたローマ人の町ソルビオドゥヌム Sorbiodunumに始まり,サクソン人(ザクセン人)のもとで重要な町に発展。11世紀後半ノルマン人によって城が建設され,1075年には司教座が置かれたが,まもなく城主と司教の抗争が激化し,ローマ教皇から司教座を移す許可を得て,1220年新しい大聖堂が建設された(→ソールズベリー大聖堂)。今日の町はこの大聖堂のまわりに発展したもので,中世には羊毛・毛織物工業で繁栄,のち刃物類の製造で知られるようになった。農業地帯の集散地で,家畜・家禽市場があるほか,機械,ビール醸造,皮革,印刷などの工業が立地する。市街中心部には中世の町並みが保存され,また市の北北西約 13kmには考古学上重要な先史時代の遺跡ストーンヘンジなどがあるため,観光業も重要な産業となっている。人口 4万3355(2001)。

ソールズベリー
Salisbury, Harrison Evans

[生]1908.11.14. ミネソタ,ミネアポリス
[没]1993.7.5. ロードアイランド,プロビデンス
アメリカジャーナリスト,著述家。ミネソタ大学卒業後,UP通信に入りシカゴニューヨークロンドンモスクワなどの支局を回った。 1949年にニューヨーク・タイムズに移り,モスクワ支局長を5年間務め,1955年にはソ連に関連する一連の記事でピュリッツァー賞 (国際報道部門) を受賞。帰国後,編集次長 (1964~72年) ,副編集長 (1972~74年) を歴任し,1970年から 1973年まで,特集ページの編集長を務めた。 1971年にはアメリカ国防総省が,ベトナム戦争の深刻化要因とその経過をまとめた秘密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」 Pentagon Papersを暴露する記事の掲載を編集トップの一人として承認して大きな反響を巻き起こした。中国,ソ連の専門家としても知られ『途上のロシア』 Russia on the Way (1946) ,『攻防 900日 包囲されたレニングラード』 The 900 Days: The Siege of Leningrad (1969) ,『ニュー・エンペラー』 The New Emperors: China in the Era of Mao and Deng (1992) などの著書を残している。

ソールズベリー(伯)
ソールズベリー[はく]
Salisbury, Robert Cecil, 1st Earl of

[生]1563.6.1. ロンドン
[没]1612.5.24. ウィルトシャー,マールバラ
イギリスの政治家。バーリー男爵ウィリアム・セシルの次男。 1584~87年フランスに滞在。 84年から下院議員。 91年ナイト爵を叙爵。 96年から国務大臣をつとめ,父に代って晩年のエリザベス1世を補佐し,2代エセックス (伯)の反乱を処理し,ジェームズ1世の即位を実現させた。ジェームズ1世のもとでも引続き国務大臣にとどまり,セシル男爵 (1603) ,クランボーン子爵 (04) ,ソールズベリー伯爵 (05) に叙せられた。

ソールズベリー(伯)
ソールズベリー[はく]
Salisbury, William Longsword, 3rd Ear1 of

[生]?
[没]1226.3.7. ウィルトシャー,ソールズベリー
イギリスの軍人,行政官。国王ヘンリー2世の庶子。 1196年リチャード1世の計らいでソールズベリー伯ウィリアムの娘イザベルと結婚。使命を帯びてフランス,ドイツへ派遣された。 1213~14年イングランドのジョン王の同盟軍をフランドルに組織,フランスと戦ったが捕えられた。 15年捕虜の交換により釈放され,帰国。ヘンリー3世の幼少時には多くの要職をつとめた。

ソールズベリー
Salisbury

アメリカ合衆国ノースカロライナ州の都市。グリーンズバラの南西約 100km,起伏のゆるやかな山麓地帯に位置する。 18世紀中頃に入植,イギリスのソールズベリーにちなんで命名された。植民地時代には六大都市の一つに数えられていたほどの町で,市街はいまなお昔の面影を残す。かつては織物工場とサザン鉄道の修理工場の町であったが,現在は織物,建材,家具など多種の町工場があるにすぎない。近隣地域ではコムギの生産,牧畜,酪農などが行われる。 1851年創立のカトーバ大学,79年創立のリビングストン大学がある。人口2万 3087 (1990) 。

ソールズベリー
Salisbury

アメリカ合衆国,メリーランド州南部の都市。 1732年創設,初めウィルシャーと呼ばれた。植民地時代の歴史を物語るオールドグリーンヒルやオールハロウズ教会などの建物が残る。デルマーバ半島中南部の交通の要衝および商業の中心地。農産物加工や観光も市の重要な産業である。人口2万 592 (1990) 。

ソールズベリー

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソールズベリー」の意味・わかりやすい解説

ソールズベリー(Robert Arthur Talbot Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury)
そーるずべりー
Robert Arthur Talbot Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury
(1830―1903)

イギリスの政治家。第2代ソールズベリー侯の次男として生まれ、オックスフォード大学で学んだ。1853年に保守党下院議員となり、議員生活を送るかたわら、雑誌に健筆を振るい、民主主義を嫌悪し、変化を忌む政治姿勢を明確に示した。1868年、父の死去によって上院入りし、インド相を経て1878年に外相に就任すると、ベルリン会議でディズレーリとともに活躍、「大ブルガリア」の実現阻止に成功した。1881年、上院での保守党指導者に就任、1885~1886年、1886~1892年、1895~1902年の長期にわたって首相を務めた。その間、とりわけ外交政策、アジア・アフリカでの「帝国政策」に強い関心を寄せ、1887年の第1回植民地会議の開催、中国における威海衛(いかいえい)の租借、スーダンにおけるフランスとの競合、南アフリカ戦争ブーア戦争)などの積極的な帝国主義外交政策を展開した。

[木畑洋一]

『坂井秀夫著『近代イギリス政治外交史 第1巻』(1974・創文社)』


ソールズベリー(Harrison Evans Salisbury)
そーるずべりー
Harrison Evans Salisbury
(1908―1993)

アメリカのジャーナリスト。ミネソタ州ミネアポリス生まれ。ミネソタ大学卒業後、地方紙記者、UP通信社支局長を経て、1949年『ニューヨーク・タイムズ』紙に移る。約6年間のモスクワ特派員生活をまとめた『ソ連のアメリカ人』(1955)でピュリッツァー賞を受けた。フルシチョフ・ソ連共産党第一書記のスターリン批判秘密報告をスクープ(1956)したり、アメリカ人記者として初めて北ベトナム入りに成功(1966)するなど、共産圏問題に強いジャーナリストであった。

[鈴木ケイ]

『朝日新聞社外報部訳『ハノイは燃えている』(1967・朝日新聞社)』『大沢正訳『攻防900日』上下(1972・早川書房)』『大沢正訳『独ソ戦――この知られざる戦い』(1980・早川書房)』


ソールズベリー(イギリス)
そーるずべりー
Salisbury

イギリス、イングランド南部、ウィルトシャー県の県都。人口11万4614(2001)。ニュー・セーラムNew Sarumともいう。ソールズベリー平野の南縁に位置する。イギリスで最高の尖塔(せんとう)(高さ123メートル、1334年完成)を有するソールズベリー大聖堂を中心に中世以来発展してきた。史跡に富み、観光客が多い。醸造、印刷、皮革、食肉出荷業が立地する。市の北方約13キロメートルに巨石記念物ストーンヘンジ(世界文化遺産)がある。

[久保田武]



ソールズベリー(ジンバブエ)
そーるずべりー
Salisbury

アフリカ南部、ジンバブエの首都ハラーレの旧称。

[編集部]

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