日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロゾフスキー」の意味・わかりやすい解説
ロゾフスキー
ろぞふすきー
А. Лозовский/A. Lozovskiy
(1878―1952)
本名はСоломон Абрамович Дридзо/Solomon Abramovich Dridzo。旧ソ連の政治家。3月28日ロシアのエカチェリノスラフ県のユダヤ人教員の家庭に生まれる。1901年シンビルスクの中等学校を卒業、ロシア社会民主労働党に入り、革命運動に従事。数度、逮捕・投獄されたのち、1908年シベリアから脱走し、1909年1月パリに亡命、フランス社会党員となる。1917年6月に帰国。同年11月のソビエト政権発足後、1921~1927年プロフィンテルン(労働組合インターナショナル)書記長、1939~1946年、外務次官、1941~1948年、ソ連情報局副総裁、総裁を歴任。1939年にソ連共産党中央委員、歴史学博士となる。1949年シオニストの陰謀事件にかかわったとして逮捕され、1952年8月12日に処刑された。1956年のスターリン批判後、名誉回復された。労働組合関係の著作が多い。
[中西 治]
『野村淳三訳『プロフィンテルン(行動綱領)』(1981・柘植書房)』