労働者が賃金や労働時間といった労働条件を良くするために結成する組織。日米欧など世界各地に存在し、使用者との団体交渉やストライキなどの行動を通じて処遇改善を目指す。米労働省によると、昨年の米国の組合員数は前年比1・9%増の1429万人で5年ぶりに増加。雇用者の総数が増えたために組合の組織率自体は低下したものの、新たな労組結成やストなどの動きが活発化している。(ワシントン共同)
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労働組合は賃金労働者が,労働者としての生活や地位の維持・改善を目的として,集団的に行動するために団結する組織である。イギリスのS.ウェッブはこれを〈生活条件を維持・改善するための賃金労働者の持続的団体〉(《労働組合運動史History of Trade Unionism》1920)と定義し,これが古典的定義とされてきたが,現代までの発展過程で,政治的問題や,企業経営や作業過程に対する労働者の発言権を拡張する問題に労働組合の活動領域が広がってきたため,この定義は現在の労働組合の活動を十分表現しえていないという批判がみられる。また,労働組合の役割についての考え方の相違や,社会主義社会での労働組合という条件の異なる運動も発生してきたため,現在では労働組合の本質についてきわめて多義的な解釈が存在している。しかし,政治体制の変革を主目的とする政党や,賃金労働者以外の諸階層を含む協同組合などとは区別される組織であるという理解は,ほぼ共通している。
労働者が雇用関係のもとで労働する場合,その基本的構造は商品としての労働力の売買をめぐる使用者との契約関係とみることができる。そこでは一定の労働に対する一定の貨幣の交換という取引が行われるが,この取引には,一般商品の交換の場合とは異なり,売手である労働者に不利な条件が伴っている。労働は日々の人間活動であり,したがって時とともに労働力商品の価値は消滅するのに対して,貨幣の価値は保存されるから,労働者は取引をより早く成立させる必要に迫られており,雇用を見いだすための情報量の点でも使用者に劣っている。また,使用者には労働力不足に際して機械化などの合理化によって労働力需要を削減する手段があるのに対して,労働者の間には労働供給を調節する手段がなく,労働力過剰の状態になると雇用をめぐる競合が起こりやすい。労働組合はこのような取引上の不利な条件を克服するための,労働者自身による協同行動を,基礎としている。
労働組合は労働市場で使用者が求める労働者を代表して取引を行うが,そのためにはそれらの労働者のすべてを組織するか,少なくとも労働組合以外からの労働者の供給を抑制しなければならない。これは労働市場の供給独占を意味する。つまり労働組合は,一定の範囲の労働市場の労働者を組織して,使用者が労働組合と取引することなしには必要な労働者を獲得できない状態をつくり出し,そのうえで労働条件の交渉を行うのである。その労働市場の範囲のあり方にしたがって労働組合の形態は,職業別組合(クラフト・ユニオン),産業別組合,一般組合,あるいは日本に多い企業別組合というような,さまざまな組織形態に分かれる。この労働市場のあり方は時代により国によって異なるため,労働組合の組織形態もこれらの条件にしたがって変化している。
労働組合の運営は組合大会など一般組合員あるいはその代表の集会において決定され,役員の選任や財政についての決定もここで行われる。組合規模が大きくなるにともなって官僚制が強くなり,役員の権限が拡大し,書記局の専門的な職能に依存する度合が大きくなるが,組合員の意見をくみ上げることは組織の安定のために欠かすことができないため,重要な決定は必ず組合員の討議にかけられる。また,決定に際して少数グループの意見が多数グループによって絶えず否定されることは組織分裂に通ずるおそれがあるため,単純多数決によらず各層の意見を反映するよう,議決方法や代表者数が配慮されている。このような組織運営のあり方を組合民主主義と呼んでいる。
選任された役員は執行委員会を形成し,組合員代表からなる中央委員会あるいは代議員会にはかりながら業務を遂行する。組合員はその指示のもとで下部組織を通じて組合活動に参加するが,下部組織のあり方は,その組合が組織している労働者の状態によって異なっている。一般には地域別と職場別に組織されており,職場別が多くなってきている。
労働組合が労働条件を改善する方法は大別して,(1)相互扶助,(2)団体交渉,(3)立法という3方法がある。相互扶助は労働者が失業や病気の際などに互いに助け合うことを通じて,生活難から低い労働条件で労働することを予防し,より高い水準を達成しようとする方法であり,団体交渉は使用者との集団的交渉を通じて目的を達する方法である。立法は法律の制定を通じて労働条件の保護・改善を実現しようとするもので,政治的活動に属する。現実にはこれらの方法が結合されて多様な手段が用いられる。このうち最も重要な位置を占めるのは団体交渉であり,労働組合の基本的機能であるということができる。
労働条件の交渉にあたって労働組合は,労働者間の競合を抑制するために,労働強度や労働時間の標準を定め,賃金などの個人別格差を圧縮して,労働条件の標準化を図る。個人の能力や努力により労働条件に差があると,労働者が競って労働強度を高めたり,それを使用者が利用して労働条件を低下させるおそれがあるからである。この目的を達するために労働組合は,組合員の間で労働条件についての申合せを行い,使用者に対して統一の要求としてこれを提示する。もし使用者がこれを拒否すればいっせいに就業をやめ,労働供給を停止して使用者が譲歩するのを待つ。これがストライキ(同盟罷業)である。その間の収入減に対しては組合基金から補償するのが原則であるが,組合財政の状態によっては補償されないことも多い。使用者の態度が強硬であったり要求が過度である場合にはストライキが長期化し,スト破りや組合分裂が起こる。使用者が対抗的にスト破りを導入したり,逆に労働者の就業を禁止するロックアウト(閉め出し)を行う場合もある。
労使が合意した労働条件は労働協約に盛り込まれ,労使双方を拘束する。労働組合はこの協約の履行を監視し,その適用や解釈について労使協議を行う。団体交渉が大規模になり,労働協約の頻繁な改訂が困難になると,この労使協議や個々の組合員の協約適用をめぐる苦情処理が労働組合の重要な機能になる。使用者も争議行為を背景とする団体交渉の局面を縮小しようとするため,労働組合の交渉力がある程度大きくなると,労使協議制の拡充を促進する傾向がある。さらに労働組合が強力になったり,使用者が組合を企業に協力させようとする場合には,労働組合の代表を経営に参与させる経営参加制度がとられ,これは近年拡大する傾向にある。経営参加制度には労働組合の機能とはせずに,非組合員を含む従業員全体を基盤とする制度もある。
労働組合の歴史の初期に組織された労働組合の形態は,多くの場合,労働者の技能ごとに組織されたクラフト・ユニオン(職業別組合あるいは職能別組合)であった。このような組織が形成された理由は,労働組合が成立しはじめた19世紀中ごろの資本主義においては,使用者はその事業に必要な技能労働者をそのつど募集して雇用し,労働者も有利な労働条件を求めて使用者間を移動することが多く,労働市場が横断的な職種別労働市場の性格を強くもっていたからであった。高い技能をもつ熟練労働者たちは,独立自営業者であった職人の間でつくり上げられた伝統的慣行を,産業革命後の事情に対応する様式に再編成し,賃金労働者としての安定した生活を確保しようとしたのである。
クラフト・ユニオンは組合員資格を所定の徒弟制度を修了したものに限定し,また組合員以外の労働者がその職業で就業することを禁じた。これは職業別労働市場の独占を意図したものである。徒弟制度は各職業ごとに別のものであったから,たとえ他の職業で熟練労働者として通用する労働者であっても,この職業で働くことはできなかった。徒弟は5年ないし7年,ほとんど無償で修業しなければならなかったし,徒弟を指導する熟練労働者は徒弟の人数を制限したので,熟練労働者の供給はおのずから制限された。これは供給を制限することによって労働条件の引上げを達成しようとするクラフト・ユニオンの政策のあらわれであった。
クラフト・ユニオンはその職業の標準賃金率,標準的な労働時間や労働強度を申し合わせ,これを認めない使用者から組合員を引き揚げ,他の仕事口を紹介するか,組合基金から失業手当を支給して低い条件での雇用を拒否させ,労働条件の維持・改善を図った。そのため組合員には職場での欠員の状態などの情報を組合に知らせることが義務づけられ,またかなり高額の組合費が徴収された。しかしこの組合費は失業手当や求職に必要な旅費のほか,疾病,事故,老齢あるいは死亡など,労働者の生活上のさまざまな不安に対する補償を含むものであったから,組合員であることは労働者にとって安定した生活を保証したのである。
しかし,労働者の技能は生産技術の進歩とともに変化し,大勢としては単純化されるため,資本主義の発展とともにクラフト・ユニオンの基盤は揺らぎはじめた。とくに19世紀末からの独占企業の成立によりもたらされた大量生産方式のもとでクラフト・ユニオンの労働市場支配力は低下し,使用者からの圧迫や組合相互間での縄張争いの結果として労働組合運動の中心としての位置から脱落した。
熟練労働者のクラフト・ユニオンが衰退したのと対照的に,同じ時期に従来未組織であった不熟練労働者の組織化が始まった。不熟練労働者は特定の産業や業種に定着していないため,クラフト・ユニオンのような方法では労働市場の独占ができなかったので,労働組合をすべての労働者を対象とする大衆組織として組織し,使用者に集団的圧力を加えることを通じて労働条件の改善を果たそうとした。これが一般組合の形成過程である。組織の枠がゆるく,組合費も低廉に抑えられたので,第1次大戦後の労働組合運動の普及のなかで急速に成長し,現在イギリスやアメリカでは最大規模の労働組合として大きな影響力をもつにいたっている。
不熟練労働者の組織化が成功したのは,一般組合の運動に刺激されて労働者政党が発展し,また既成政党の労働者階級への妥協を生みだす政治的活動が進んだため,公共職業安定所の設立や失業保険制度の成立が実現し,これまで労働組合が独自の力で達成してきた労働市場の秩序形成が社会的に遂行されるようになったからである。一般組合が特定の使用者から獲得した労働条件は,公共職業安定所の職業紹介を通して一般化し,組合が組織力を全領域にもっていなくてもそれを維持することが可能になったし,失業保険制度が,労働者だけではなく国家財政と使用者からの拠出金も含めた基金によって運用されることによって,不熟練労働に慢性的につきまとっていた労働者間競争が抑制されるようになった。そのほか,健康保険や養老年金など,クラフト・ユニオンが組合員の相互扶助として維持してきた生活保障の諸制度も,しだいに社会保障制度として実現するにいたった。これらの社会制度はその後の労働組合運動の基本的条件となったから,一般組合の発展は,現代の労働行政の基本的構造を形づくり,現代労働組合運動の条件を確立したものということができる。
団体交渉制度が普及し,労働組合の法制上の地位が確立するにともなって労働組合加入者が増大し,組織率が向上したが,一般組合はその中で最も急速な成長を遂げ,あらゆる産業,業種に組織を伸ばした。自動車輸送部門など,一般組合がほとんどの労働者を組織している主要部門については,一般組合も産業別組合として機能しているが,他に有力な産業別組合が組織されている部門では,比較的に熟練度の低い労働者を組織し,しばしば他の組合と競合している。
資本の集中が進み,大企業が強い支配力をもつ独占資本主義体制が確立すると,大量生産方式による重化学工業化が推進され,それに伴う技術革新によって労働組合は大きな影響を受けた。従来の万能工型の熟練は解体され,企業内養成に従って特定工程に習熟した労働者がそれにとって代わった。これは労働市場が企業ごとに分断されたことを意味するが,この条件下では労働者が特定企業から離れることは彼にとって不利益であると同時に,使用者にとっても外部から必要な労働力を調達することが困難になった。そのため継続的な雇用関係を前提とする労使関係が発達し,労働組合も職種の別なく従業員全体を組織対象とする形に変わった。クラフト・ユニオンは関連する組合間で合同したり,組織範囲を拡大して産業別組合へ転化し,未組織の新産業では新たに産業別組合が組織された。組織範囲の拡大にともなって活動の視野も産業全体に及ぶようになり,産業国有化政策などの産業政策や立法を通じての労働者階級の地位改善のような政治的課題も積極的にとり上げられるようになった。
産業別組合は使用者または使用者団体との間で明文化された労働協約を締結し,その産業での労働条件の最低基準を定めており,個々の企業の労働条件はこれをそれぞれの事情に合わせて解釈・適用して決定される。さらにこの労働協約は,労働条件以外に労使の交渉手続をも規定しており,労働組合の地位の制度的保障を確保している。このように産業別組合は,労使関係の制度的な枠組みの中に位置づけられており,労働者の自発的運動という性格よりも社会制度としての性格を強くもっている。多くの企業は労働組合との関係を安定させるために,組合との間で従業員を自動的に組合員とするユニオン・ショップ協定を結んでおり,その傾向をいっそう強化している。これは労働組合運動の定着を示すものであるが,他面で組合の官僚主義的傾向を生む原因ともなっている。
産業別組合は欧米では一般に全国組合として組織されているが,その末端組織は職場におかれ,具体的な労働条件がここで交渉されている。労働者の具体的な労働条件は企業の労務管理と密接に結びついているため,日常的に使用者と折衝することが組合活動の重要な要素であるが,それを担っているのはショップ・スチュワードshop steward(職場委員)と呼ばれる活動家であり,しばしば独自の活動を起こして本部と対立している。日本の企業別組合も産業別連合体に結集して産業別組合としての運動を追求しており,その下部組織としての企業別組合は欧米の職場組織に相当する位置にあるが,単位組合としてきわめて強い独立性をもっている。
執筆者:栗田 健
日本の労働組合は,第2次大戦前には組織率の最も高かった1931年でも7.9%,組合員数が最も多かった36年にも42万人にすぎなかった。敗戦後,それまで労働組合運動を規制していた諸法規が廃止され,反対にそれを奨励する労働組合法,労働争議調停法が制定されて以来,急速に組合員数が増加した。46年末493万人であった組合員数は,戦後インフレーションの終息のための行政整理・企業整備の直後の50-51年を除き,73年の第1次石油危機後の75年の1247万人まで増加を続けたが,その後低迷し,83年には1241万人となった。推定組織率をみると,1950年以降第1次石油危機までの間,日本経済の急速な成長により雇用労働者数が組合員の増加を上まわって急増したため,1949年の55.8%をピークに59年31.5%まで低下し以後33~35%で推移した。75年以降再び漸減し,83年には29.7%と30%を割り,96年には23.2%となった。しかし,就業者数中に占める組合員数の割合は19.1%で,収入のある仕事についている人の5人に1人は組合員ということになる。
1975年の労働省〈労働組合基本調査〉によって日本の労働組合員を組織形態別にみると,企業別組織91.1%,職業別組織1.4%,産業別組織5.5%,その他2.1%であり,日雇形態の雇用が中心である町場の建築職人,戦前から産業別組合をつくってきた船員(海員),小零細企業の労働者を企業・職業・産業にかかわりなく個人加盟で組織している合同労組の組合員など少数の例外を除いて,ほとんど全部が企業別組合の組合員である。
その結果,日本の労働組合員の分布には次のような特徴がある。(1)大企業の正規従業員は,企業別労働組合をつくると,組合員数が多いので財政力も豊かであり,従業員の中から従業身分をもちながら,長期にわたって組合活動に専念できる専従役員をおくことができるので,労働組合をつくり活発な活動をすることができる。しかし,中小零細企業においては組合員数が少なく,したがって財政力も小さく,組合運営に習熟し組合活動を指導する人材も得にくいため,労働組合をつくり維持することがむずかしい。1972年の労働省〈労働組合基本調査〉によって民間企業の企業規模別組織率をみると,500人以上63.6%,100~499人31.5%,30~99人9.0%,29人以下3.4%である。また96年の労働省〈労働組合基礎調査〉によって民間企業組合員数の企業規模別構成比をみると,企業規模1000人以上が58.1%,100~999人が20.5%,99人以下が1.6%となっている。(2)その結果,大企業の従業員の割合が高い産業では組織率が高い。96年の〈労働組合基礎調査〉によって産業別推定組織率をみると,公務63.4%,電気・ガス・水道・熱供給業53.3%,運輸・通信業41.2%,金融・保険・不動産業44.9%,鉱業22.0%,製造業28.8%,サービス業13.9%,建設業19.9%,卸売・小売業9.8%のごとくである。また組合員数の産業別割合をみると,製造業31.0%,運輸・通信業13.0%,サービス業15.6%,公務10.8%,金融・保険・不動産業9.0%,卸売・小売業9.2%,建設業8.8%,電気・ガス・水道・熱供給業1.9%のごとくである。(3)企業別組合の大多数は工職混合組合であり,またホワイトカラーまたはそれに近い労働者が多数を占める産業の組織率が高いので,組合員の中に占めるホワイトカラー労働者の割合が大きい。(4)組織率の高い国・地方自治体の行政事務はもちろんのこと,学校,病院,鉄道,郵便,発電,ガス,水道などの事業はそれらの事業の性質上,また日本の産業発展の特質から,国・地方自治体の直営事業,公営企業で行われているものが少なくない。ここで働いている公務員,教職員の労働組合は,公務員法,国営企業労働関係法,地方公営企業労働関係法(地公労法)などの適用を受け,団結権,団体交渉権に大きな制約がある。こういう組合が組合員数で約21%(1996。1983年には約30%を占めていた)を占めているだけでなく,たとえば自治労,日教組,全電通,国労,全逓,国公労連(日本国家公務員労働組合連合会)などの巨大組合はこれらの公務員または教職員の組合かその連合体であるため,スト権奪還闘争,公労委(公共企業体等労働委員会)の仲裁問題,人事院勧告の完全実施など,これらの組合の運動が世人の注目を浴びてきた。
以上の特徴は次に述べる事情によって変わりつつある。(1)第1次石油危機後の経済成長の鈍化に伴う企業の減量経営政策,事業の多角化,行財政改革またマイクロエレクトロニクス化による技術革新のために大企業,国・地方自治体の本体業務以外の,たとえば運搬,機械設備の保全・修理,清掃,広告・宣伝,調査,情報処理,システム設計,コンピューターの操作・保守などの補助的・付帯的業務の下請化が進み,大企業,国・地方自治体の正規従業員が相対的に減少し,中小のサービス業企業の労働者が増大した。またスーパーマーケットのような大型小売業が発展した。これらのサービス産業の労働需要は時間的な繁閑が著しく,小規模事業所が地域的に分散しており,そのなかには女性向きの仕事が少なくないので,女子のパートタイム労働者(パートタイマー)が激増してきた。これらの中小サービス業事業所の従業員,とくに非正規従業員は労働組合に組織されにくく,これが組合員数の停滞と組織率低下の原因をなし,その組織化が労働組合運動の課題となっている。(2)行財政改革,公社,公営事業をめぐる環境の変化,国際的・国内的競争の圧力などにより,日本電信電話公社,日本専売公社が85年4月民営化され,それぞれ日本電信電話株式会社,日本たばこ産業株式会社になるとともに,全電通,全専売(全専売労働組合)も適用される法律が公労法から労働組合法に代わり,全専売は全日本たばこ産業労働組合(略称,全たばこ)と改称した。また日本国有鉄道も87年民営化された。このため独特の運動を展開してきた国労,動労(現,JR総連)なども変化し,公労法適用諸組合の共同闘争機関として活躍してきた公労協も大きく変化した。
企業別組合は特定企業の正規従業員を主体とする労働組合であるから,賃金,労働時間,退職金,定年制などの労働条件については企業とその企業の労働組合が団体交渉で決め,労働協約を締結するのが普通であり,また経営方針,設備投資,生産計画などについて労使で話し合い,それに伴う労働条件,諸制度の変更,出向・配置転換・応援の基準などについて協議している。後者のためには大部分の企業別組合が常設の労使協議機関を設置している。
企業別組合はその運営・活動の必要から,多数が上部組合に加盟している。83年〈労働組合基礎調査〉によると,上部組合に加盟していない独立組合の組合員数は8.4%にすぎない(96年には9.1%)。上部団体には,上部団体の決定が加盟組合を多かれ少なかれ拘束する連合体(単一産業別労働組合,略して単産ともいう)と,加盟組合の連絡,情報交換,相互援助などのみを目的とする協議体とがある。また中小企業の組合のなかには,ナショナル・センターの地方組織である地区労,地方同盟にのみ加盟しているものも少なくない。
上部団体のなかで最も重要な連合体には,組織面からみていくつかのタイプがある。(1)同一の業界に所属する巨大企業の組合を中心としながら,関連した中小企業の組合を加盟させている型。自動車総連,電気連合,電通労連(電気通信情報産業労働組合連合,主体は全電通),鉄鋼労連,私鉄総連,造船重機労連など日本の代表的産業別連合体がこれである。業界の大手企業の組合員が大半を占めており,組合役員も大手企業の在籍専従者が多い。これらのうち,自動車総連は販売部門も組織している。(2)多数の業界に所属する主として中小企業の組合を産業別に組織している型。全金同盟(現,ゼンキン連合),総評・全国金属(現,金属機械),合化労連,全化同盟(現,CSG連合),食品労連(全日本食品労働組合連合会)などがこれであり,加盟組合が多業種にわたるため,多くはその中に業種別部会を設けている。(3)業種・産業に関係なく,中小企業の組合を加盟させている型。総評・全国一般,一般同盟(全国一般労働組合同盟)などがこれである。中小企業は一般に全国的関係よりも地域的関係が強いので,地域的活動に重点がおかれている。(4)全建総連は,地方的に結成された主として建築産業の職業別・産業別組合の連合体で,産業の性質上,組合員の雇用形態が日雇的であり,一人親方も多数含まれているので,その政策も活動も他の組合とは違っている。(5)ゼンセン同盟は,もともと綿紡,化学繊維の企業別組合中心の連合体であったが,その後,繊維関連製品製造の大手中小に組織を広げ,さらに繊維製品の流通,スーパーマーケットにも進出し,名称も全繊同盟からゼンセン同盟に改めた独特の連合体で,(1)の型の連合体のなかには,この方向を志向しているものもある。(2)~(5)などの連合体には,組合運営に援助を必要とする中小の企業別・産業別・職業別組合が多数加盟しているので,組合に雇用され,組合活動に専念している専門の組合運動家が多く,彼らの影響力が大きい。
連合体の役割は,連合体のタイプによって違っているが,共通して次のことが挙げられる。(1)産業,業界,地域の経済情勢の情報,加盟組合または非加盟組合の労働条件に関する情報を収集し分析し編集して加盟組合に提供し,企業別組合の方針決定に必要な資料を供給する調査的機能。(2)加盟組合の役員,活動家を集めまたは機関紙を通じて,加盟組合の活動経験の交流を図り,または上部団体役員の指導・教育により,加盟組合全体の組合活動の質を高め,思想の統一を図る教育宣伝的機能。(3)企業別組合では不可能な火災共済,生命共済などの共済事業を行い,加盟組合の組合員の福祉向上と団結を図る共済的機能。(4)関係産業,関係地域が景気後退,産業構造の変化,国際競争などのために不況状態や産業秩序の混乱が起き,組合員に雇用不安などの損害が及びそうな場合,その発生を防止し緩和する適切な措置を政府・地方自治体にとらせる産業政策立案推進機能。(5)争議資金を備蓄し組合活動の専門家を用意し,加盟組合の中に労使紛争が起きた場合,紛争を有利に解決するために,財政的,人的な援助を行う労働争議対策的機能。(6)業種別,規模別,地域別に企業別組合の統一闘争を組織し,賃金水準,年間労働時間,期末手当,定年制など,労働条件の標準化を推進する統一闘争的機能。統一闘争には,要求内容,交渉時期,妥結時期,妥結内容の統一を目ざし行動の統一(ストライキ)まで統制する統一闘争と,要求内容と交渉時期のみを調整する共同闘争とがある。一般に春闘における賃金交渉の場合には,統一闘争が目ざされている。また,これを行う交渉方式として,統一闘争に参加する加盟企業別組合の役員と経営者,またはこれに連合体役員,経営者団体役員が加わり,一つ場所に集まって団体交渉を行う集団交渉(連合交渉),企業別組合と企業経営者の団体交渉に連合体役員が参加する対角線交渉などが考案されてきた(〈団体交渉〉の項参照)。(7)連合体に加盟していない独立組合を加盟させる,未組織の企業に組合をつくらせる,最近ではパートタイム労働者を組合に加入させる,またはその組合をつくらせるなどの方法で,組合員の拡大を図る組織的機能。
これらの連合体の相当数が労働四団体と呼ばれる総評,同盟,中立労連,新産別の四つのナショナル・センター(労働組合全国中央組織)に加盟している。1983年の〈労働組合基礎調査〉によると,所属別労働組合員の比率は,総評36.0%,同盟17.5%,中立労連11.8%,新産別0.5%,4団体以外の上部団体30.2%,独立組合8.4%である。このようにナショナル・センターが四つに分かれ,しかもそのいずれにも加盟していない連合体がかなりある理由は,1950年総評結成時およびその後における総評と同盟の対立の歴史にあるといってよい。この対立の原因としては次のことが挙げられる。(1)総評が階級的労働運動を基調としているのに対し,同盟が民主的労働組合主義の考え方を主張しており,運動の実際面でも対立があったこと。(2)国際労働運動の面で同盟が国際自由労連加盟を明確に志向してきた(1965年に一括加盟)のに対し,総評が中立の立場をとりながらも世界労連と親和的立場をとってきたこと。(3)総評加盟組合のなかでは公務員,公社の組合の比重が高いのに対し,同盟加盟組合ではそのほとんどが民間産業の組合で,両者では運動の方針も態様もかなりの違いがあったこと。83年の〈労働組合基礎調査〉によると,民間企業組合員数の割合は総評32%,同盟93%である。(4)1960年,社会党から民主社会党(のちの民社党)が分裂してからは,それ以前からあった政治路線の違いが,総評は社会党支持,同盟は民社党支持という形で明確化したこと。(5)こうした両者の対立のなかで,新産別は積極的に両者の統一を求めて独自の道を歩み,総評加盟を志向していた電機労連などの民間産業の組合も1956年,中立労連を結成したこと。(6)こうしたナショナル・センターの分立と対立のなかで,ナショナル・センターに加盟することを逡巡する連合体が増えてきたこと,などである。
昭和30年代末以降になると,労働組合運動をめぐる環境に大きな変化が出てきた。(1)日本経済の急成長-輸出の急増-開放経済体制への移行という流れのなかで,重化学工業を中心とする民間産業は厳しい国際競争にさらされることになり,企業の大型合併など産業再編成が進行した。それとともに,産業別連合体も再編されることになり,民間産業の同盟系組合員数が増加し,1967年には総評の民間組合員数を上まわった。と同時に国際化の進展にともない,労働組合運動の国際的連帯の必要性が痛感されてきた。(2)官公労働組合においても,スト権奪還闘争の重要な一環であったいわゆるILO闘争を通じて,国際自由労連およびITS(国際産業別組織)の援助を受け,それとの接触が深まる一方,ハンガリー事件,チェコ事件,ポーランドのたび重なる騒動などによって,社会主義圏の労働組合を中心とする世界労連の威信が国際的に低下した。(3)春闘が始まった当初には全労会議は闘争激発主義,スケジュール闘争だとしてこれに批判的であり,春闘は総評,中立労連がつくった春闘共闘会議主導で行われてきたが,65年ころになると同盟傘下の組合のなかに春に賃上げ闘争を行う組合が増加した。同盟も同年から賃金白書を発表し,また中央賃金闘争委員会を設置し,以後毎年春季賃金闘争を行うこととなり,今日風のいわゆる春闘が定着することとなった。
こうした状況のなかで,加盟ナショナル・センターや加盟連合体にかかわりなく,企業別組合や連合体の必要に応じて,以下のような各種の協議体がつくられてきた。(1)加盟ナショナル・センターが違っている連合体,加盟連合体が違っている企業別組合,連合体に加盟していない企業別組合の間にも,業種が同じであるために,賃金闘争などの場合,その業種の景況の現状と見通し,各企業の労働条件の情報を入手する必要があるなど,共通の利害関係があるため,連絡,情報交換などのためにつくった業種別協議体。1953年結成の光学労協(全日本光学工業労働組合協議会)などはその例である。(2)日本の産業別連合体はだいたいにおいて中産別主義をとってきた。ところが,たとえば鉄鋼,造船,一般機械,電気機械,自動車産業などは,素材供給と加工,部品供給と組立てなど産業内の関連があり,また労働者にも類似性のある部分が大きいから,以前から大金属共闘組織のように,相互連絡をとる試みがなされてきた。こうした産業連関に加えて,金属機械産業が輸出産業であり,国際連帯が必要な点で共通性があることから,64年IMF(国際金属労連)加盟の窓口として加盟ナショナル・センターの区別を超えてIMF-JCが結成された。IMF-JCは前述のように,産業としての共通利害と労働者の類似性があるので,68年以降独自の賃金闘争白書を発表して,春の賃金闘争を闘うことになった。そのなかの鉄鋼労連(総評),造船重機労連(同盟),電機労連(中立労連),自動車総連(純中立)のいわゆる金属四単産は,その日本経済のなかで占める重要性から,これに対抗してつくられた各業界大手2社からなる経営者側の八社懇談会と相まって,日本の賃金決定に決定的な影響を与えることとなった。また同じ趣旨で,化学産業でも,ICEF(国際化学エネルギー一般労働組合連盟)加盟組合により77年,化学エネルギー労協(日本化学エネルギー労働組合協議会。ICEF-JAF,66万人)が結成された。(3)こうして,昭和40年代から50年代にかけて民間産業の連合体,官公労働組合の国際自由労連,ITSへの加盟が相つぎ,これが国内の労働組合間の緊密化,国際活動のうえでの協議体の形成にも影響した。
こうした背景のもとで,1967年,宝樹文彦全逓委員長が発表した〈民間先行,共産党排除〉などを内容とする労働戦線統一に関する論文をきっかけに,労働戦線統一に関する動きが活発になり,72年には労働戦線統一民間単産連絡会議の開催にこぎつけたが,翌73年失敗に終わった。ところがこの年秋に勃発した第1次石油危機は,日本経済ひいては労働組合運動に大きなインパクトを与えた。〈狂乱物価〉に続く低経済成長,構造不況による春闘賃上げ率の停滞と深刻な雇用問題の発生,続く産業構造の変化と貿易摩擦,行財政改革などである。これらの課題を解くためには,経済成長の成果を春の賃金闘争によって労働者に還元させるだけでは不十分である。そこで,次のような展開をみせた。
(1)以上の困難を克服し,労働組合の本来の目的である労働条件の向上と雇用の安定をもたらすためには,経済の成長,物価の安定(とくに食料品と地価),スムーズな産業構造の転換,所得税減税を伴う税制改革,未組織労働者の労働条件の改善など,政府の政策,現行制度の改革が前提条件になる。いわゆる政策制度要求で,この実現のためには四つのナショナル・センターが可能な範囲でも意志を統一し,共同行動をとる必要がある。74年春闘に先立ち労働四団体共催の〈インフレ粉砕,生活危機突破〉の統一集会,田中角栄首相と労働四団体首脳の共同会見の後,部分的な共同行動を積み重ね,80年には四団体の〈政策委員会〉が設置された。また,労働戦線統一民間単産連絡会議参加の流れをくむ民間労働組合は1976年,四団体とは別に政策推進労組会議(26組合,公称500万人)を結成し,政策制度要求について政府と交渉を続けてきた。(2)賃金闘争についても,77年春の賃上げ闘争では,労働四団体の賃上げ基準が定昇込み15%とはじめてそろい,以後若干の例外はあるが,この慣例が守られてきた。またこの年,労働四団体の主要民間単産で構成される賃闘対策民間労組会議が発足し,以後毎年開かれるようになり,参加組合も増加した。(3)このような動きを背景に,80年9月,電機労連竪山利文,ゼンセン同盟宇佐美忠信,自動車総連塩路一郎,電力労連橋本孝一郎,鉄鋼労連中村卓彦,全日通中川豊の6人を委員とする労働戦線統一推進会が発足し,翌81年6月〈労働戦線統一の基本構想〉を発表し,12月に準備会を発足させることを提唱した。これに対しては労働四団体,とくに総評内でいろいろな議論があったが,翌82年12月全民労協(全日本民間労働組合協議会)が発足した。
以上のような労働組合運動の動向に対して,1974年,主として総評内の共産党系の労働組合は統一労組懇(統一戦線促進労働組合懇談会)を発足させ,全民労協結成の動きを右翼的再編成であるとして批判的な運動を展開した。
執筆者:氏原 正治郎
全民労協はその後も民間先行型の労働戦線統一の中心となり,87年全日本民間労働組合連合会,ついで89年日本労働組合総連合会の結成をみた(〈連合〉の項を参照)。これにともない同盟,中立労連,新産別,総評はすべて解散し,長らく続いた労働四団体時代は終結した。
一方,統一労組懇に結集する労働組合は,連合に対抗して全国労働組合総連合(全労連)を89年に結成した。以上二つのナショナル・センターのほかに,旧総評系の労働組合を中心に連絡・共闘機関として,全国労働組合連絡協議会(全労協)が89年に結成された。
→労働運動
執筆者:編集部
一口に欧米の労働組合といっても,各国の労働組合は歴史的発展の差異やその国の経済的・社会的・政治的諸条件の相違によって,性格を異にしており,著しく多様である。それゆえ,それらを共通のものとしてとらえることはきわめて困難である。しかしながら,それらをごく大づかみに類型化すれば次の三つの型に分類することができるだろう。
第1の類型は,アングロ・サクソン型あるいは多元主義モデルpluralistic modelと呼ばれるもので,これにはイギリス,アメリカ,アイルランドなどアングロ・サクソン系の諸国の労働組合が該当する。ナショナル・センターは統一しているが(たとえばイギリス労働組合会議TUC,アメリカ労働総同盟・産業別労働組合会議AFL-CIO),産業別組織原則は弱く,徹底していない。そこには巨大な産業別組合や一般組合と並んで多数の職業別組合が加入しており,したがって労働組合は全体としてみれば,きわめて多様で分散した組織をなしている。たとえばTUCの加盟組合数は1978年現在115であり,AFL-CIOには同年105の全国組合,51の州レベルの組合,741の支部組合が加盟している。組織率はさまざまで,イギリスのように比較的高い(約50%)国もあれば,アメリカのようにごく低い(24.5%)国もある。
労使関係に関する法的規制は比較的少なく,いわゆる任意主義(ボランタリズムvoluntaryism)の伝統が強い。賃金交渉は産業レベルと並んで経営レベルでも行われ,むしろ後者のほうが重要である。1950年代末以降,インフレ抑制のためこれらの国では所得政策が実施されてきたが,その実効が乏しかったのは,職場レベルの賃金交渉により賃金ガイドラインがつきくずされたためである。労働組合のイデオロギーはプラグマティズムが支配的で(いわゆるビジネス・ユニオニズム)社会主義思想の影響は皆無か,あってもきわめて穏健なものである。政党との関係については英米間に大きな差異がある。イギリスでは労働組合が労働党に集団的に加入するのを原則としており,議会に多数の労働組合代表を送っている。アメリカでは労働党のような有力な労働者政党が存在せず,おもに民主党を通じて間接的に議会に働きかける方法がとられる。アングロ・サクソン型の労働組合は総じて,国家機関や経営レベルでの参加や協働に対し消極的で,それによって活動の自主性が拘束されるのをいとう傾向が強い。
第2の類型は北欧型またはコーポラティズム・モデルcorporatism modelであり,スカンジナビア諸国やドイツ連邦共和国(旧,西ドイツ),オーストリアがこれに含まれる。これらの国では,有力なナショナル・センターが存在する。たとえばドイツの労働総同盟DGB(デーゲーベー),スウェーデンの労働組合連盟LO,ノルウェーの労働総同盟LO,デンマークの労働総同盟LO,オーストリアの労働総同盟ÖGBなど。ここでは産業別組織の原則が早くから方針として打ち出され,相対的に最もよく実現されている。たとえばDGB傘下の組合数は17,同じくオーストリア労働総同盟16,スウェーデン労働組合連盟20などのごとくである。このため組合の集中化,巨大化が進んでおり,組織率は概してきわめて高い。スウェーデン85%,デンマーク70%,ノルウェー55%,オーストリア60%,西ドイツ39%(1980年代初め)。組合の財政力も豊かである。
イデオロギー的には伝統的に社会民主主義を志向しており,社会民主主義政党との間に密接な関係が存在する。ただこれについては,直接的な連携関係がみられるスウェーデン,ノルウェー,デンマークの場合と,単に準公式な共生関係(公式には政治的中立性)にすぎないドイツ,オーストリアの場合とでは若干区別する必要がある。労働組合は初期には厳しい法的規制を受けたとはいえ,その後はむしろ国家の後援によりその組織化が促進された。とくに経営レベルにおける共同決定制が法制化されており,また労組はその拡充を要求し,それに闘争の重点をおいている。労働組合は政府や経営者団体とのトップレベルでの折衝や協議に積極的であり,概して協調的な関係を維持している。労働組合はストライキ戦術に慎重であり,したがってストライキ発生率はごく低いが,いったん行われると大規模・長期化する傾向がある。
第3の類型はラテン型ないしサンディカ主義モデルsyndicalist modelである。これにはフランス,イタリア,スペインなど南西ヨーロッパ諸国の組合が該当する。ナショナル・センターがイデオロギーにより分裂しており(たとえばフランスでは労働総同盟CGT(セージエーテー),労働総同盟・労働者の力CGT-FO(セージエーテーエフオー),民主労働連盟CFDT(セーエフデーテー),イタリアでは労働総同盟CGIL,労働者組合総同盟CISL,労働総連合UILのように),共産主義を志向する組合が有力な地位を占めている(たとえばCGTやCGILは世界労連に加盟している)。これらの上部団体は産業別組織原則を方針として掲げているが(フランスでは1906年のアミアン憲章ですでに産業別組織原則がとられた),実際には傘下に古い手工的熟練労働者metierタイプの組合も残っており,産業別の統一はそれほど進んでいない(ただしイタリアでは1973年以降,三大労組の間に共闘体制が組まれ組織の統一への動きがみられる)。組織率は高くない(フランス23%,イタリア33~40%)。
イデオロギー的にみると,社会主義を標榜(ひようぼう)するものが圧倒的に多いが,同時に国家機関や政治レベルでの活動を否定し,組合自身による直接行動を重視するサンディカリスムの影響も根強く存続している。こうして経営者団体と激しく対立しているが,国家機関への影響力はそれほど強いとはいえない。政党との提携関係もゆるい形をとっている。ストライキは頻発し,ときに大規模なゼネスト体制に発展する(フランスの1968年の五月革命やイタリアの69年の〈暑い秋〉)。だが労働組合の財政力が豊かでないためもあって,ストライキがそれほど長期化することはない。資本主義体制を前提とした経営レベルでの共同決定や政策決定過程への参加に対し労働組合は否定的態度を表明しているが,法律的には企業委員会など経営レベルの組織が制度化されている。
以上,三つの類型について述べたが,このいずれにもあてはまらない例もある。たとえばベルギー,オランダ,フィンランドの場合がそれで,ナショナル・センターが分立している点で(フィンランド労働組合総連合SAKでは共産主義の影響力が一定の役割を有している点で)第3の型の特徴を有するが,その他の点では北欧型に近い。ベルギーはキリスト教労組連合CSCが大きな勢力を占め,やや特殊である。オランダでは労働党系の労働総同盟NVVとカトリック労働組合連合NKVとが1975年以来連合し,オランダ組合連盟FNVを結成,統一へ向けて前進した。
欧米の労働組合は歴史的にみると,利害を同じくする同一職種の熟練労働者が工場の外で団結したことに端を発している。このことは組織的には二つの点で重要である。第1に熟練労働者以外の多くの被用者が未組織であったこと。第2に組合は工場内に組織的基盤をもたなかったことである。第1の点については産業別組合や一般組合により不熟練・半熟練労働者の組織化が進められてきた。だが既述のように産業別組合は北欧型の諸国を除くと十分な展開を遂げているとはいえない。経済成長期に増大した外国人労働者や婦人労働者の組織化は労働組合にとって新たな問題となっている。第2次大戦後から1960年代にかけて職員層の組織化が進んだ。しかし職員層は別個の労働組合に組織されることが多く,またブルーカラーに比較して組織化が困難であるので,長期的には職員層の増大に比べ組織化が遅れている現状である。
第2の点,すなわち労働組合が経営内に組織的基盤をもたぬということは,経営内の諸問題は,長い間,労働者が直接関与できない〈聖域〉であることを意味していた。イギリスでも職場レベルの団体交渉が認められるようになったのは第1次大戦以降のことである。経営が巨大化し,内部の管理機構や作業組織が複雑化すればするほど,経営レベルの諸問題に被用者の意思をなんらかの形で反映させることはますます重要になってくる。現在,職場レベルで被用者の利害を代表させる方法は大別すると,職場委員による一元論的方式と,法律により規定された経営評議会と経営内組合機構との競合による二元論的方式(二重代表制)とに分けられる。前者の典型はイギリスであり,後者は西ドイツによって代表される。職場委員は,当初,組合費の徴収などごく低い役割を行う非公式のものとして自然発生的に生まれたが,一般組合員の日常的要求を経営との間に媒介するものとしてしだいに重要性を増し,今日では組合の最末端における正規の役員として認められている。とはいえ,職場委員はほとんどが専従ではなく,また組合指導部とときには激しく対立する。組合指導部の公認しない山猫ストは彼らによって組織され,実行されるのが普通である。職場委員は,作業の配分や人員の配置など現場労働者の日常的利害に密接にかかわる諸問題について経営側と交渉し協働し,ときには争議の調整や実行にあたる。彼らは官僚化した組合幹部に対し一般組合員の草の根民主主義を代弁する役割を担っているが,他方その主張がごく限られた職場や,あまりにもセクト的観点に依拠し,しばしば全体としての力の結集に欠ける面があることも否めない。
それに対し西ドイツでは共同決定法,経営組織法などの法律によって,ほぼすべての経営で経営評議会Betriebsratの設置が義務づけられ,それに経営レベルでの被用者の利害を独占的に代表し,経営側と協議する広範な権限を与えている。経営評議会は当該企業の全従業員によって選出される,労働組合とは法的にはまったく別個な組織である。労働組合はこれに対し企業内に職場委員をおき,それを通じて労働組合の政策が経営評議会に浸透するよう働きかける。このように経営レベルでの被用者の利害代表は制度的に二重になっているのが特徴であるが,労働組合が強力であれば経営評議会を通じてかなりの影響力を経営レベルでも発揮できる。経営評議会は委員の解雇制限や専従活動の保障など法律によって保護されている反面,平和義務や協議事項の限定など活動に一定の枠がはめられており,これが協調的労使関係を制度的に支えることにもなっている。西ドイツと類似の制度は北欧型の諸国で一般に普及している。フランス,イタリアでも企業委員会,内部委員会などの名称で類似のものが存在するが,ただしこれらラテン系諸国では北欧諸国に比べ定着しているとはいえない。
1973年の石油危機以降,経済危機が深化するにともない労働組合はさまざまな難問に直面している。雇用情勢の悪化につれ職場の確保が最大の課題であるとの認識が強まり,アメリカでは譲歩交渉concession bargaining(雇用の確保を条件に賃金切下げに応じる)が普及した。イギリスではサッチャー政権により,労働組合に対する法的規制を強化する措置が進められた。とりわけ80年および82年の両雇用法は,秘密投票制の採用,クローズドショップ制の濫用防止,合法ピケッティングの範囲の制限,免責対象となる労働争議の定義の厳格化など,従来の任意主義を根本的に改め,労働組合内部の自治にまで介入する性質のものである。欧米諸国では,70年代末以降,労働組合組織率の低下傾向が多くの国で起きている。これは直接的には不況に伴う労働者数の減少に起因するが,長期的にみれば産業構造の変化(労働組合の伝統的な基盤である鉄鋼,鉱山,造船,繊維部門の停滞・縮小,エレクトロニクスやサービス産業の増大,職員層の増加),合理化(ロボットやマイクロエレクトロニクス技術の導入)や経営の反労働組合的戦略(労働組合の弱い地域への企業立地,下請・パートタイマーなどの周辺労働力の利用)などの構造的な要因が作用しており,労働組合として看過することのできないことがらである。総じて欧米の,とりわけアングロ・サクソン諸国の労働組合はこのような構造的諸問題や保守政権による反労働組合政策に直面し,70年代後半以降,後退ないし守勢を余儀なくされ,組織や政策の根本的な再編・修正を迫られている。
執筆者:徳永 重良
社会主義国における労働組合の社会的位置づけは,まず,社会主義を実現する過程で労働組合に与えられた政治的役割によって性格づけられる。
ロシア革命を指導したレーニンは,現実の労働者を組織している労働組合の運動は経済要求の域を出ず,したがって社会主義の実現という政治的役割を労働組合それ自体には期待できないと考え,前衛的政党による指導の重要性を訴えた。しかし革命を成功させるためには,前衛的政党は大衆による支持と運動に立脚しなければならず,党と大衆との絶えざる接触の場が必要とされてくる。社会主義運動のなかで労働組合はそのような場として位置づけられ,労働組合は,党が社会主義を実現するために労働者大衆に影響力を行使する場であり,党の道具であるという考え方がとられた。
この考え方は革命が成功したあとも継承された。革命後の社会主義建設において,労働組合は広範な労働者大衆を組織し,党の意思の実現に奉仕する団体として位置づけられたのである。この位置づけのなかで労働組合は,党の意思を労働者大衆に伝え,労働者大衆を動員するための伝達ベルトであり,労働者大衆の間に社会主義的意識を普及するための教育の場であるとされた。そして,共産党がそのときどきに打ち出す課題や方向づけに対して,労働者大衆を動員して取り組むことを任務としている。
社会主義国の労働組合は単一のナショナル・センターのもとに組織されている。その組織形態は国によって多少異なるが,一般的にいって工場レベルあるいは企業レベルの組織が単位となり,それが一方では産業レベルの組織に統合されてナショナル・センターにつながり,他方ではその工場や企業が立地する地区の組織に統合され,県や州の組織を媒介としてナショナル・センターにつながる。
工場・企業レベルの労働組合のおもな任務は次の5点に要約される。(1)経営に対する統制活動。労働組合は,経営が社会主義の原則や党の方針から逸脱する行動をとっていないかどうかをチェックし,経営を監視する任務を負っている。(2)生産ノルマの達成と生産性向上への協力。国家が設定した経済計画を工場・企業レベルで達成し,国民経済を強化して生活福祉向上の物的基盤を発展させるという任務である。この見地から,〈社会主義競争〉などへの取組みが行われる。(3)労働者の生活福祉・文化レクリエーション活動の組織化。文化会館,クラブ,図書館などを組合がつくったり,企業の保養施設を組合が運営したり,団体旅行やダンスパーティやスポーツ大会を組織したり,住宅資金の貸付けを決めたりしている。労働組合が社会保険を扱っている場合もある。(4)労働条件の改善。職場の作業環境,とくに安全衛生にかかわる点の改善の提案と,それの実現に取り組み,労働者の待遇改善に寄与することによって,党が目標としている労働者階級の解放に現場から貢献する,というもの。(5)政治的宣伝と大衆動員。党がうちだすプロパガンダにそって工場や職場で政治集会を組織したり,デモや集会に労働者を動員する。
以上のような労働組合の任務は,社会主義国においてすでに労資の階級対立はなく,管理者も生産現場の労働者も,働く者は基本的には共通の利害に立っている,という認識から出てきている。そこから労働組合は企業長(社長)を含む企業内のすべての層を組織しており,従業員はみんな組合員になる権利を与えられている。組織率は(1980年以降のポーランドのような例外を除けば)100%に近い。
こうした考え方はまた,社会主義国では,政府,党,経営,労働組合は,目標や利害を共にしているという認識と結びついている。この考え方からすれば,社会主義国家は労働者階級の掌中にあり,労働者階級の前衛としての党がそれを指導し,労働者階級の政府がそれを管理し,そしてその国家が打ち出す計画を,社会主義国家の経済機関としての企業が現場で実現し,労働組合がそれを補佐する,ということになる。この見地から集権的経済管理が打ち立てられ,経営も労働組合もそれに従属する形ができあがった。
しかしこうしてできあがった社会主義国の労働組合の原型は,1960年代から80年代にいたる社会主義国内部における経済改革と社会運動のインパクトのもとで多かれ少なかれ修正を受け,労働組合の自立的機能の強化が提起されるにいたった。
1960年代に東欧諸国やソ連で提起され実験に移された経済改革は,国民経済の効率的運営と生産性の向上の観点から経済的意思決定の分権化を図り,企業レベルの権限を高めようとした。この措置は,一方では国家官僚に対する企業管理者層の権力の相対的な強化をもたらす可能性をはらんでいたが,他方では企業内において経営管理者の労働者層に対する支配の強化を生む可能性をも有していた。この後者の可能性を是正する意図から,企業内で経営管理者に対して労働者の利害を代表すべき労働組合の機能が,あらためて強調されるにいたった。
たとえば1960年代中ごろの経済改革に伴って改訂されたチェコスロバキアの労働法をみると,次の諸点に関して経営管理者は労働組合の事前の承認を得なければ実施できないことになっている。(1)就業規則の施行と改訂,(2)労働時間の全体的な変更,休日出勤の命令,協約で定められた超過勤務時間の枠を越えた労働の命令,(3)福利厚生・文化体育の施設や活動に向けるフォンド(基金)とその具体的使途の決定,(4)賃金体系の設定と改訂,評価基準の変更,報奨金や賞与の条件の切下げ,(5)従業員の数と構成と配置の決定,解雇,(6)配置転換と人事異動(労働者本人の同意がある場合は別),(7)住宅資金の貸付け,など。要するに,賃金,労働時間,雇用と配置など,労働者の利害に直接かかわるような労働諸条件に関しては,政府レベルで定められた一定の枠のもとで,企業レベルで労働組合は経営側に対して交渉し,経営側は労働組合の事前の承認を必要とするようになっている。こうして,労働組合の代表機能,交渉機能が法制的に強調されることになった。しかし他面,経済的意思決定の企業レベルでの権限が高まり,経済目標達成について企業レベルの責任が大きくなるのにともなって,企業内における労働組合の経営側への協力も,同時に強調されている。企業のノルマ達成と利潤増大に労働組合も協力し,労働生産性の増大と製品の質の向上に貢献することが,あらためて労働組合に課せられることになった。そしてその協力の成果は,報奨金や福利厚生の充実という形をとって,企業内で労働者に還元するという仕組みが整備された。
他方,このような〈上からの改革〉と並んで,社会主義国の労働組合のあり方にインパクトを与えたのは〈下からの運動〉である。1956年のハンガリーとポーランド,68年のチェコスロバキア,70年,76年,80年のポーランドで起こった労働者大衆の反乱や改革運動は,既存の労働組合の枠外で展開し,体制そのものの変革を迫った。
この運動は労働組合のあり方に関して少なくとも次の3点を提起した。第1に,労働者の利害や要求は政府や経営のそれとは同質のものではないということである。第2に,公的な既成の労働組合はその労働者大衆の要求を吸収できずにいた,ということである。ここから,実質的な代表機能をもった労働者組織が模索されだした。1980年にポーランドで生まれた自主労組〈連帯〉は,そのようなものとして労働者自身によって結成された。第3に,社会主義国での労働者大衆の反乱は企業内の経営に対してなされるというよりも,企業の枠を出て直接政府に対して行われ,国政レベルでの改革を要求する形をとったため,党や政府としても,労働組合に労働者を実質的に体制内に統合する機能をもたせるための措置を講ずる必要に当面した。〈連帯〉を非合法化したあとにとったポーランド政府の措置,つまり政府主導による新労組の設置や,ポーランドの経験をみながら慎重に経営=労働関係を調整したハンガリー政府の措置などに,それがよくあらわれている。
さて,こうした経済改革と下からの運動のインパクトを受けて,労働組合が新しい社会的位置づけを与えられている最も顕著な例は,80年代のハンガリーである。従来の社会主義国では賃金表や労働時間は政府によって定められていたし,今でもほとんどの国がそうしている。しかしハンガリーでは,最低賃金の額や労働時間の枠は政府と労働組合ナショナル・センターとの交渉で決められ,具体的な賃金の額や配分,労働時間の長さは,それぞれの企業で経営と組合との交渉で決められることになった。福利厚生についても同様である。このような条件のもとで,賃金,労働条件,福利厚生などの面で,かなり企業間格差が出ている。その格差の基礎は企業の業績の良し悪しであり,企業業績に関しては企業内の経営代表と従業員代表で構成される〈経営会議〉が責任と権限を与えられ,労働組合幹部もこれの一員として参画している。こうして組合は実質的に経営にも責任を負うとともに,他方で,経営の成果を配分するにあたって交渉機能を発揮する,という仕組みが打ち立てられた。
ハンガリーと並んでもう一つ注目されるのは,ユーゴスラビアの労働組合である。ユーゴスラビアはすでに1950年代から企業の労働者自主管理を軸とした分権的経済管理体制を敷いてきた。ここでは企業の基本的な意思決定は,労働者のなかから労働者自身によって選出された代表によって構成される労働者評議会の場でなされ,その決定の執行にあたって労働者評議会は経営者を公募し選定・任命し,その執行の責任を負わせる。いわば労働者自身が企業を管理している形になっている。この場合,労働者のもう一つの組織である労働組合は,公式的には経営と対立することにならない。組合幹部がその活動時間の大半を割いているのは,生産性,輸出入,財政など,企業内の経済的諸問題への取組みである。その他の活動としては,福利厚生問題,政治動員,他の労働組合との接触などである。このようにして労働組合は,労働者自主管理体制の一部としてその中に統合されている。しかし,山猫ストの発生などにみられるように,経営と労働者との間には潜在的な葛藤が構造的にぬぐい去られてはいない。だが自主管理体制のもとでは労働組合が労働者特有の利害を代表しようとするときには経営責任者と公式に交渉するという形をとらず,組合に支持された労働者代表を通じて労働者評議会の場でその主張を行うというように,間接的な形で影響力をインフォーマルに行使している。
執筆者:石川 晃弘
日本の労働組合法(1949公布。以下労組法)は,労働組合との関連における労働者の選択,行動の自由を労使関係の展開の各局面に応じて保障し,さらに労働組合そのものに対してもその存在および活動を容易ならしめるため,直接の保護を与えるなどしており,団結権などを保障する憲法28条の趣旨を具体化し,実効化する最も基本的な法律として位置づけることができる。法的概念としての〈労働組合〉は主としてこの労組法の適用の有無を決する際に問われることになるが,かかる問題の生じることを予想した労組法は,あらかじめ労働組合の定義規定を設けておき,これに対処しようとする。すなわち,労働組合法2条は,その本文において,〈この法律で,労働組合とは,労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう〉としたのち,これに続けて但書をおき,使用者の利益代表者が参加するもの(2条但書1号),使用者から一定の経理上の援助を受けるもの(同2号),共済事業その他福利事業のみを目的とするもの(同3号),主として政治運動または社会運動を目的とするもの(同4号)はいずれもこのかぎりでないとする(労組法以外にも,〈労働組合〉という言葉を使用する法律は少なくないが,それらの法律には,国営企業労働関係法(3条1項),地方公営企業労働関係法(4条1項)のように労組法の定義を一般的に借用するもの,職業安定法(33,45条)のように労組法上の労働組合であることを特記するもの,労働基準法(たとえば,36条,90条1項)のようになんらその概念についてふれないものなどがあり,さまざまである)。いくぶん複雑な規定ではあるが,全体としてみれば,労働組合法2条の定義は,組織の目的(主観的側面)と組織の実体(客観的側面)の双方に着目して労働組合をとらえようとするものであり,方法としてはむしろ正統的といえるし,結果的にもある程度解釈のしかたのいかんにもよることではあるが,労働組合の範囲を不当にせばめることにはなっていないといえよう(これに比べると,国家公務員法108条の2-1項,地方公務員法52条1項における〈職員団体〉の定義がいっそう簡素化されているのが注目される)。その具体的な解釈としては,とくに自主性,目的性,団体性の各要件が重要である。
(1)自主性 労働組合の定義の中に自主性を取り入れるのは立法例としては珍しいことであるが,学説はこれについて別段批判的というわけでもない。労働組合が労働者利益の擁護・代表という使命を満足に果たすためには,組織外のいっさいの勢力,とりわけ使用者から独立の立場を保持し,組合員にとって利益になるか不利益になるかということだけを基準にして行動を決定することが肝要であり,そのかぎりにおいては,自主性の要件は当然ともいえるからである。しかし,自主性にあまり多くの意味づけをすると,かえって法による自主性の侵犯を招来するとともに,労働組合の範囲を不当にせばめることになるから,その意義・内容は限定的にとらえる必要がある。自主性とは労働組合の意思・政策決定に際して自立的な姿勢,労働者自決の状態をいう。つまり,自主性の要件が問おうとしているのは,組合内における意思形成の態様・様式そのものであって,決定された組合意思・政策が使用者に対する関係でいかに戦闘的なあるいは協調的,協力的な性格をもっているかではない。したがって,たとえば,組織内の役職のほとんどを会社の職制が占めており,組織経費の主要部分を会社が支弁しているという場合のように,労働組合として独自・独立の立場からその意思を決定することが構造的に不可能であるときにのみ,自主性を欠くという意味での御用組合の存在が認定される,というのが正しいであろう。もっとも,このように解すると,使用者の利益代表者の参加,使用者からの一定の経費援助を自主性の自動的喪失条件とするかにみえる労働組合法2条但書1,2号に対して合理的な説明を与えるべき必要が別に生じるが,この点については,例示説をとらざるをえないことになる。すなわち,同条但書は,それに該当する事実があるときは直ちに自主性なしとする趣旨ではなく,自主性が実質的に失われる危険の多い場合を注意的に例示したにすぎない,と考えるのである。通説であるこの例示説に対しては,同条但書の最も自然な解釈方法に従えば,それは文字どおり自主性喪失要件を定めたものにほかならないと解する一体説(その呼称は,この説が本条本文の自主性要件と同条但書1,2号とを同格一体のものとしてとらえることに由来する)が対立する。一体説によると,形式的には同条但書1,2号に該当する事実があるが,実質的には自主性を失っていないという労働者集団は労組法上の労働組合とはいえず,したがって,同法の保護を得ることができないのであるが,実質的な自主性を保持しているかぎりにおいて,それはなお〈憲法上の〉労働組合たりうる。つまり,憲法28条による団結権などの保障が含む諸利益,たとえば,民事免責,労働協約の規範的効力などを憲法保障の直接的な効果として享受しうるということになる。
(2)目的性 労働組合の目的に関しては,本条は,〈労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として〉いることを要求している。とはいっても,〈経済的地位の向上〉は,むしろ無限定的であり,しかもこれを〈主たる目的〉としていさえすれば他の目的をも有しうるのであるから,この目的要件はきわめて緩和的というべきであって,これが現実の労働組合に対してなんらかの制約,不自由を課することはほとんど考えられない。もとより労働組合は,従たる目的としてするかぎり政治活動,社会活動をなしえ,さらには営利事業などを営むこともできるのである。もっとも,これらの労使関係外的・非経済的活動が可能だということは,これらの活動が他の私人,私的団体に許容されているのとまったく同じように労働組合に対しても許されるというにとどまり,これらの活動についても労働組合の活動であるがゆえの特別の積極的保護が与えられるということまでは原則として意味していないことが注意されるべきである。
(3)団体性 労働組合は〈団体〉でなければならない。団体とは共同目的の達成に向けられた複数人の結合をいうにとどまるのか,人的な結合の存在に加えて一定の組織的な実体,たとえば,組織としての根本規約,財産的な基礎などのともなっていることをも要するかは,見解の分かれうるところであるが,学説・判例は概して後者の見解をとっている。人的な結合が組織としてある程度まで整備され,継続的,恒常的な存在性をえてはじめて法的保護に値するだけの労働者集団の現出が認められると考えるためである。この通説的見解によると,定義上,個別具体的な目的ごとに労働者が結集することによって顕現し,当該目的の達成とともに消滅する一過性の集団ととらえられる一時的交渉集団,争議団などはこの団体性の要件を満たしえず,それゆえに〈労組法上の〉労働組合とはされえないことになる。もっとも,すでに自主性の項においても見たように,労組法上の労働組合性の否定は〈憲法上の〉労働組合性,つまり憲法28条の利益の享受との関係における労働組合性の否定までは意味しておらず,したがって,自主性を保持しているかぎりは一時的交渉集団,争議団も憲法28条が保障している範囲の利益は享受できるとするのが通例である。いわゆる一人組合については,労働組合とは認めえないといわざるをえないが,たとえば,使用者の組合干渉工作などの結果として組合員が減少し,一人組合が現出したというような場合には,例外的になおその労働組合性が認められるとする見解も有力である。このような場合に一人組合の労働組合性を承認すると,それ自身が労働組合としての保護,救済を求めうるという便利がありはするが,一方,これを否定したからといって,救済の道がいっさいふさがれてしまうというものでもない。
以上のような労組法2条の諸要件を満たすとき,労働組合は,労組法上も労働組合として扱われることになる。しかし,注意すべきことは,それゆえに当該労働組合が直ちに同法の定めるすべての利益・保護を受けうるわけではないということである。労組法5条2項が別に,組合民主主義にかかわる一定事項などを組合規約の必要的記載事項とする旨を定めて,いわゆる民主性の要件を設定し,さらに同条1項が,労働委員会の資格審査手続において2条の要件とともにこの民主性の要件も充足するとされたときにはじめて,労働組合は〈この法律に規定する手続〉〈救済〉にあずかりうる,としているからである。この労組法5条は,労働組合の定義規定,資格要件規定としての体裁をとらずに,実質的には付加的な資格要件を設定するものであり,それ自体はなはだ不明朗な規定というべきである。しかしそのこととは別に,労組法2条の要件は充足しているが同法5条の要件は満たしていない労働組合(法外組合)は,はたして労組法上の労働組合といえるのか,これに対していかなる範囲まで労組法上の利益・保護が与えられることになるのか,などの法的問題の生じる原因ともなっている。
→労働組合法
執筆者:浜田 冨士郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
賃金労働者が自分たちの賃金、労働時間をはじめ、労働・生活の諸条件を維持、改善するために、自主的かつ恒常的に結成した大衆組織をいう。思想、信条などの相違にかかわりなく、労働者の直接的・具体的要求に基づいて組織される大衆組織である点で、政治信条を基礎に結成される労働者政党とは区別される。労働組合は、労働者階級の大衆組織のなかでもっとも基本的なものとみなされている。
[早川征一郎]
労働組合は萌芽(ほうが)形態としてはすでに17世紀イギリスでみられた。労働組合はその発生当初から資本家や政府の厳しい弾圧下に置かれたので、自らを防衛し相互の助け合いを目的に、初めは共済組合や協同組合の形や秘密結社の形をとったりした。労働組合の本格的形成の歴史的前提条件は、資本主義的生産および資本・賃労働の階級関係の本格的展開にある。イギリスでは、18世紀の1760年代以降に展開された産業革命の過程で、紡績、石炭産業などを中心に急速な機械制工場工業の発達をみた。この過程は同時に、没落した農民、手工業者、さらに女性・児童をも賃金労働者として工場に導き入れ、低賃金、長時間労働に基づく過酷な搾取関係が展開した過程でもあった。こうした産業革命の進展の過程で、熟練労働者を中心とした組合結成の動きも広範にみられるに及んで、イギリスでは1799年、1800年に団結禁止法が制定された。だが、その弾圧法のもとにあっても、組合の組織化、労働者の激しい抵抗が絶えることなく、1824年および1825年に至って、団結禁止法は撤廃された。ときにイギリスは、資本主義的生産としてはひとまず順調な発展を遂げた産業資本主義の時代に入ったが、労働組合運動もまた新たな展開を遂げた。
こうして労働組合は、産業革命を通じた資本主義的生産の発展、資本家階級に対する労働者階級の社会的・大量的形成を前提条件にし、そのうえに本格的な発生をみた。したがって、その発生の理由は資本・賃労働関係そのもののうちにある。資本主義的階級関係の下では、生産手段をもたず、自らの労働力を資本家に売る以外には生活の道がない労働者の側は、労働力商品の売買において、相対的に弱い立場にたたされている。とくに産業予備軍、相対的過剰人口の不断の存在は、この事情にいっそう拍車をかける。経済的弱者たる賃金労働者は結局、団結することを通じ労働力商品の取引を一括して行い、それによって対抗力を強める以外にない。そうした努力から労働組合が生まれた。したがって労働組合が取り扱う問題は、初めは賃金、労働諸条件の改善など経済的要求に限られていた。だが、団結そのものに対する国家の対応との関係では、つねに団結や団体行動などの権利の問題が付きまとっていた。その意味では、団結には政治的性格が不断に伴っている。
[早川征一郎]
労働組合の歴史上、さまざまな組織形態がとられてきたが、資本主義の発展段階との関連で重要な役割を演じたものとして、職業別組合、一般労働者組合、産業別組合の三つがあげられる。それらをみたうえで、日本で支配的な企業別組合にも触れることにする。
[早川征一郎]
労働組合の歴史のなかで、もっとも古い伝統をもつ。産業や企業のいかんを問わず、訓練を経て一定の技能水準に達した労働者が、職業の共通性を基礎として結成した組合である。産業革命による機械化を通じ労働の単純化が進み、大量の不熟練労働者が労働市場に流れ込んだ。これまで熟練労働者のものとなっていた仕事の領域にも入り込み、雇用・労働諸条件にも影響を及ぼした。これに対し、それぞれの職業の熟練労働者の利益を守るため、仕事につく資格のある熟練労働力の供給を規制しつつ生まれたのが職業別組合である。それゆえ、この組合は熟練労働者の排他的組織でもあった。これが可能であったのは、産業革命による機械化、労働の単純化の進展にもかかわらず、生産過程でなお基幹的役割を演じたのは、一定の技能を習得した熟練労働者であり、その供給には限度があったからである。イギリスで1851年に生まれた合同機械工組合は、この職業別組合の一つの典型であった。
職業別組合の政策、機能としては次の五つにまとめることができる。(1)徒弟制度の規制による熟練職種への入職制限。(2)仕事の縄張りの確定とその仕事の組合による独占。(3)仕事のやり方、スピードの規制。(4)以上を通じた標準賃率の設定。(5)自助の原則による自主的な共済制度の維持。こうした職業別組合は資本主義のひとまず順調な発展のなかで、保守的で穏健な性格をもっていた。やがて19世紀末からの機械化のいっそうの発展、技術変化に伴い、この組合の存立基盤であった熟練そのものの解体が進むに及んで、職業別組合は弱体化し支配的地位を譲った。
[早川征一郎]
職業別組合の弱体化、解体という旧組合主義の没落の過程は、同時に一般組合に代表される新組合主義の台頭の過程でもあった。一般組合は、各種の職業や産業にまたがる労働者、なかでも不熟練労働者を単一の組合の内部に広範に包含するものである。1889年のロンドンでのドック労働者のストライキは一般組合の発展の決定的契機となった。港湾、運輸、海運、ガス、炭鉱などで一般組合が結成され、古い組織の排他性も崩れ始めた。また社会主義思想も新組合主義と結合し始めた。一般組合の政策、機能としては、国家に対して、(1)公的な機関による職域の確保、(2)法定8時間労働日や最低賃金制、(3)社会保険による失業保障などを要求し、個別資本の枠を超えたところに特徴があった。すなわち、国家に対する労働者階級の運動としての性格を強め、政治闘争と結合しつつ、闘争形態も団体交渉やストライキ、立法闘争に訴えたりした。
[早川征一郎]
資本主義が独占段階に入り、生産過程の機械化、技術変化を基調に大量生産方式が展開していくにつれ、旧型職種や熟練職種は分解し、新職種の発生、工業内分業の深化、作業の客観化、単純化が進んだ。この結果、半熟練・不熟練労働者が大量に出現したが、ここに職業や企業内部の熟練度の違いにかかわりなく、同一産業内部の全労働者を組織するものとしての産業別組合が出現する。1913年、イギリスの全国鉄道労働組合が先駆けとなったが、これ以後、産業別組織化が急速に進んだ。産業別組合の政策、機能としては、(1)ユニオン・ショップ制、(2)団体交渉による賃金、労働諸条件の決定、(3)産業政策、社会政策の要求などがあげられる。ユニオン・ショップ制は、雇用されると一定期間内に組合に加入しなければならず、また組合員資格を失った労働者は解雇されるという原則による労働市場統制を意味する。次に団体交渉による賃金、労働諸条件の決定は、産業別労働協約の締結を伴ったが、交渉不調による労使紛争の激化に対しては、争議調停仲裁制度が相伴った。さらに産業別組合の政策要求の展開は、産業別組合の政治的機能の発展を促した。いずれにしても、産業別組合は独占段階における労働者階級の大衆的闘争組織として、もっとも基本的な重要性をもつものとして評価されている。現在、欧米の労働組合ではこの産業別組織形態が支配的であるが、イギリスなどでは一般組合や職業別組合の伝統も残っている。
[早川征一郎]
第二次世界大戦後、日本における労働組合の組織形態としては、企業別組合が圧倒的に支配的である。企業別組合は、企業ないし事業所を単位とし、正規の従業員資格をもつ労働者を組合員とする組織である。すなわち、企業・事業所が単位となり、組合員の範囲は臨時工、パートタイマーなどを除く常用の従業員に限られる。しかも全従業員が職員、工員の区別なく一括加盟の形をとる。組合役員もまた組合員と同じく正規の従業員資格をもつことが前提となっている。こうした企業別組合が、日本でなぜ支配的であるかについては多くの議論のあるところであるが、職業別組合に始まる企業横断的組合の伝統を希薄ならしめた日本資本主義、日本の労働市場の特殊事情にその由来が求められる。すなわち、民間大企業や官公庁を中心に、終身雇用、年功賃金(年功序列型賃金)などを含む年功的労使関係が形成され、これと企業内福利厚生施設システムが相まって企業別組合を成立させたと考えられる。企業別組合は、その機能の展開にあたっては、企業別ユニオン・ショップ制、企業別団体交渉などを特徴としている。こうした企業別組合を単位産業別に結集した単位産業別連合体(単産)が成立しており、そこで産業別組合としての実質的機能を発揮しようとする努力も行われてきた。だが、欧米の産業別組合が基本的には企業横断的組合であるのに対し、日本の産業別連合体(単産)は「組合の組合」であり、横断性の弱い縦断組合=企業別組合の集合たる性格を免れえない。
[早川征一郎]
労働組合に対する国家の法制度上の対応は、歴史的には、抑圧から解放へ、団結権ついで争議権の保障、不当労働行為制度と争議調整制度の展開として把握される。ここではイギリスをはじめとする欧米の先進資本主義国を中心に触れる。イギリスでは産業革命の過程で1799年、1800年、それまでの個別的団結禁止政策にかわって団結禁止法が制定され、団結が一般的に禁止された。だが1824年、1825年、団結禁止法が撤廃され、抑圧から解放へ大きな一歩を踏み出した。さらに1871年の労働組合法は、労働組合の目的が取引の制限にあるという理由だけで不法なものとされることはない旨明らかにした。1875年の共謀罪および財産保護法はさらに進んで、争議行為の刑事免責を、1907年の労働争議法は民事免責を定めた。ただし1人で行っても違法でない行為を団結して行うと違法としていた点で、団結権の保障としては不十分さを残していた。
20世紀に入り、団結権の保障を結社の自由と区別し憲法上の基本的人権として保障することが行われ始めた。1918年の革命の結果成立したドイツ共和国憲法(ワイマール憲法)がその先駆けとなり、第二次世界大戦後、イギリス、アメリカを除く、1946年のフランス第四共和国憲法、1947年のイタリア憲法、1949年のドイツのボン基本法など、ヨーロッパ先進国の憲法に受け継がれていった。だが、争議権が同様に憲法上の保障を受けたわけではなかった。アメリカ、イギリスでの争議権の保障は、争議行為を行っても法的制裁を受けないという消極的権利の保障たるにとどまった。より積極的な争議権の保障を行ったフランス、ドイツでも憲法上の保障としては行われなかった。団結権、争議権の法的保障に対し、団体交渉権の法的保障はむしろ対象外になっている。これは団結権、争議権を保障すれば団体交渉にまで法的保障を与える必要はないばかりか、団体交渉を法的に強制することも適当ではないという理由によるものであった。ドイツ、フランスでは団体交渉の結果である労働協約に法的効力を認めた。アメリカ、イギリスでは協約の法的効力を認めず、国が団体交渉に介入しないのが原則であった。ただアメリカでは、1935年のワグナー法で不当労働行為制度を導入し、その側面から団結、団体交渉への保障を行った。だが、別に労働争議調停・仲裁制度がいずれの国においても導入され、労使関係に対する国家の規制、介入はその点で強化された。
[早川征一郎]
第二次世界大戦前、労働基本権の法的保障は行われず、反対に過酷な抑圧と取締りが支配的であった。1900年(明治33)治安警察法が制定され、組合結成、同盟罷業などが厳しく取り締まられた。さらに日本の労働・社会運動にマルクス主義の影響が及ぶにつれ、1925年(大正14)治安維持法が制定され、一段と過酷な弾圧が行われた。
第二次世界大戦の終了とともに、日本の民主化の一環として弾圧法規の撤廃、労働組合法の制定によって、初めて労働組合が法認され法的保護を受けるようになった。とくに1947年(昭和22)5月3日施行の日本国憲法は、第27条で勤労権の保障、労働条件の法定をうたい、第28条で労働者の団結権、団体交渉権、団体行動権(争議権)を保障し、労働法制に憲法的基礎を与えた点で画期的なものとなった。しかし、1947年の二・一ストの中止命令、1948年のマッカーサー書簡・政令二〇一号、国家公務員法の改定、公共企業体労働関係法(現、行政執行法人の労働関係に関する法律。略称、行労法)の制定を通じ、官公労働者の労働基本権は大幅な制約を受けることになった。また電気事業・石炭鉱業労働者に対する労働関係調整法による緊急調整規定、さらに実力行使の限界に関する労働次官通達(ピケット制限通達)など、多くの労働者が労働基本権を制限されている。こうして日本国憲法は、20世紀憲法として国際的にも先進的内容をもつに至ったが、労働基本権保障の現実的内容では多くの問題が含まれている。とりわけ、国家公務員、地方公務員は、国家公務員法、地方公務員法によって、団結権は保障されているものの、団体交渉権の一部、争議権は否認されており、2002年(平成14)11月、ILO理事会によって、ILO87号条約・98号条約違反が指摘され改定勧告を受けたが、依然として否認されたままとなっている。
[早川征一郎]
日本の労働組合運動は、日清戦争(にっしんせんそう)(1894~1895)後の産業革命の急速な進展のなかで自主的な組織を結成し、展開し始めた。その後の動きについては「労働運動」の項を参照されたい。
[早川征一郎]
今日、日本の労働組合の圧倒的多数は、企業・事業所を組織単位とし、正規の従業員のみを職員、工員の区別なく一括して組織する企業別組合である。もちろん例外的には、事業所などにかかわりなく同一の産業の労働者で組織する産業別単一組合、地域を中心に組織する地域組合などがないわけではない。とくに中小企業労働者の組織化に関連して、一般労働組合、合同労働組合などの役割が改めて見直されている。しかし、こうした組織形態をとるものはたいへん少数であり、圧倒的大部分が企業別組合である。この単位組合を基礎に巨大企業の場合は企業別連合体(企業連)を形成し、産業別連合体はこの単位組合、企業連のうえに成り立っている。さらにこの産業別連合体を結集して全国中央団体、すなわち日本労働組合総連合会(連合)、全国労働組合総連合(全労連)といったナショナル・センターが成立している。また単位組合は、地区労働組合協議会(地区労)や地方労働組合評議会(地評。都道府県単位)など地域組織の基礎にもなっており、この地域組織が全国中央組織の補完的な下部組織となっている。単位組合が産業別連合体に加入する形式は、個人加入の形ではなく組合単位の一括加入の形をとる。
このように労働組合の全組織構造のなかで、企業別組合が強固な地歩を占める。この点でとくに産業別連合体(単産)と企業別組合、企業別連合体(企業連)との関係が中心的な問題となる。企業別組合からの脱皮、産業別組織機能の強化が長年の課題とされてきたが、たとえば組合財政の掌握でもっとも力をもつのは企業連であり、団体交渉の中心も一部例外を除いて企業連(とくにその中心にある大企業組合)が実質的交渉機関となっている。経営者団体と産業別組合とが交渉し、協定締結に至る慣行が形成されているのは、全日本海員組合(海員)などの例外を除けばほとんどない。また地域組織の交渉機能も弱く、実際は春闘時の情報交換や一時的な大衆行動組織となっている事例が多い。企業別組合からの脱皮、産業別・地域別組織強化は古くして新しい課題であるが、とくに1960年代末以降、民間大企業組合の比重が著しく増しただけでなく、同時に企業内組合化の傾向も著しく顕著になっていることも懸念される。同時に、その流れに対抗する動きも強まっている。
[早川征一郎]
第二次世界大戦前の日本では労働組合は、組合員数の最高約42万人(1936)、推定組織率の最高7.9%(1931)にとどまった。戦後、労働組合の急速な結成が進み、組織率では1948~1949年、5割台を記録した。組織人員(組合員数)は1965年に1000万人台に達したが、2011年(平成23)以降はこれを割るようになり、2015年6月末時点では988万2000人である。雇用者数との比率でみる推定組織率では1975年以来漸減傾向にあり、2015年6月末時点で17.4%となっている。日本の労働者の3分の2以上が未組織であること、企業別組合が圧倒的多数であるため、中小企業労働者の大半、大企業でも臨時工、パートタイマーなど賃金、労働条件とも劣悪な層が放置されていることは、労働者階級の連帯強化、日本の低賃金水準・労働条件の克服、底上げにとっても大きな障害となっている。ただ、増大するパートタイマーの組織化も徐々に進み始め、2015年6月末時点で102万5000人となり、全労働組合員に占める比率は10.4%、パート労働者における組織率は7.0%となっている。
次に産業別の組織状況をみると、2015年6月末時点で組織率が高いのは、電気・ガス・熱供給・水道業67.1%、金融業・保険業49.4%、複合サービス事業44.7%、公務38.0%であり、低いのは農業・林業・漁業2.0%となっている。この組織率の高低は、実は当該産業における企業規模分布と密接に関連している。たとえば電気・ガス・熱供給業では大企業を含んでいる。反対に農業・林業・漁業では中小零細分野を多く抱えている。規模別組織率の大きな格差と産業別組織率格差は相関関係にある。民営企業で企業規模別組合員数構成をみると、1000人以上で64.9%、300~999人で13.8%であり、その合計で約8割に達する。100~299人で7.3%、30~99人で2.4%、29人以下で0.3%であるから、大企業での組織率は高いが、小零細企業での組織状況はきわめて低いことがわかる。
次に2015年時点の適用法規別の組合員数では、労働組合法85.8%、行労法0.1%、地方公営企業労働関係法1.4%、国家公務員法1.0%、地方公務員法11.7%となっている。主要団体別にみると、連合675万人(68.3%)、全労連57万人(5.8%)、全国労働組合連絡協議会(全労協)10万人(1.1%)である。
以上が組織現状の要点であるが、1980年代における労働戦線の一大再編の動向がとくに注目される。1982年12月には全日本民間労働組合協議会(全民労協)が発足した。この全民労協は、既存のナショナル・センターの枠を超え、民間ビッグ・ユニオンを中心とする組織の結集体となっている。そして1987年11月、同組織はさらに連合体へと発展した。55単産、1オブザーバー加盟、6友好組織、計62組織、555万人が参加した全日本民間労働組合連合会(民間連合)がそれである。民間連合の結成とともに同盟、中立労連は解散した。さらに総評も、官公労を含めた「全的統一」を目標に掲げ、1989年11月、全日本民間労働組合連合会と官公労組が統一して日本労働組合総連合会(連合)が結成されたことに伴い解散した。こうした労働戦線の一大再編の動きに対し、これを右翼的戦線統一だとして強く批判・反対する対抗勢力の動きも強まり、それらの勢力は連合と対抗して全労連に結集した。日本における労働戦線は、戦前・戦後とも離合集散を繰り返してきた。今日の新しい動向がどのような方向に落ち着くか、その帰趨(きすう)が大いに注目される。
[早川征一郎 2017年7月19日]
これまで国際組織として重要な役割を演じてきたのは、世界労働組合連盟(WFTU)、国際自由労連(ICFTU)、国際労働組合連合(WCL)の三大組織である。このうち日本との関係の深いのはICFTUとWFTU、なかでも前者であった。ICFTUは、それがWFTUから分裂(1949)してできたいきさつが示すように、反共的性格が強かったが、現在ではその性格は大幅に薄らいでいる。なお、有力な資本主義国の労働組織のなかでも、フランス労働総同盟は、WFTUの組織が激減したとはいえ、依然としてWFTUに加盟している。連合は、ICFTUに加盟している。だが、1980年代末からの東欧の変動、ソ連の解体のなかで、WFTUの組織が大幅に弱体化し、かつ日本への影響も小さくなった。その時点で、WFTUに残ったおもな組織は、フランス労働総同盟(CGT=セージェーテー)、キューバ労働総同盟(CTC)、朝鮮職業総同盟、全インド労働組合会議(AITUC)、ベトナム労働総同盟など数えるばかりとなった。
2006年11月、既存の国際自由労連および国際労働組合連合を基盤とし、それにこれまで国際組織に加盟しなかった「独立系」ナショナル・センターが合流し、国際労働組合総連合(ITUC)が結成された。結成時点では、世界153か国・地域から304の労働組合ナショナル・センター、組合員数約1億6800万人であった。国際自由労連および国際労働組合連合は発展的に解消した。連合は、ITUC結成と同時に一括加盟した。
現在、世界各国において組織されている労働組合も、こうした国際組織となんらかの関係を保っている。とくに、ITUCは、AFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)やイギリス労働組合会議(TUC)、ドイツ労働総同盟(DGB)など先進資本主義諸国および発展途上国諸国の労働組合を中心に幅広く組織している。
[早川征一郎]
『大河内一男他著『日本労働組合物語』全5巻(1965~1973・筑摩書房)』▽『ものがたり戦後労働運動史刊行委員会編『ものがたり戦後労働運動史』全10巻(1997~2000・教育文化協会)』▽『法政大学大原社会問題研究所編『日本の労働組合100年』(1999・旬報社)』▽『法政大学大原社会問題研究所編「特集 国際労働組合運動の50年」(『日本労働年鑑 第70集』所収・1999・旬報社)』▽『法政大学大原社会問題研究所編『日本労働運動資料集成』全14巻(2005~2007・旬報社)』▽『法政大学大原社会問題研究所編「特集 国際労働組合総連合(ITUC)の結成」(『日本労働年鑑 第78集』所収・2008・旬報社)』▽『法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑』とくに第3部「労働組合の組織と運動」各年版(旬報社)』▽『厚生労働省編・刊『労使関係総合調査(労働組合基礎調査)』各年版』
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(桑原靖夫 獨協大学名誉教授 / 2008年)
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労働の諸条件を改善し,同時に社会的地位の向上を図る労働者の組織。18世紀から19世紀前半のヨーロッパでは,同一の職業に属する職人層の相互扶助的組合が多数発生した。19世紀中葉から,イギリスなどでは熟練労働者の職業別組合が有力となる。高額の組合加入金を要し,職業的利益の擁護を基本としたので労資協調主義であった。不熟練労働者の産業別組合がストライキ運動とともに大規模化するのは,19世紀末のイギリスに始まり,20世紀に入ってドイツやアメリカにおいてである。これは団結力による賃上げをめざし社会主義運動とも結合した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…サンディカsyndicat(組合)を語源とするフランス語で組合の形態をとる社会的運動を指す。英語ではシンディカリズムsyndicalism。…
…企業意識の状態は労働者の態度調査(モラール・サーベイ)などで明らかにされるが,その指標には企業の経営方針や労働条件に対する満足度,経営幹部や職場の上役に対する信頼性,企業の経営実績や会社に対する評価などが用いられる。 欧米諸国の労働者と比較すると,日本の労働者は企業意識が強いといわれるが,その生成要因としては,〈和の精神〉に基づく経営家族主義的イデオロギーや,業績原理よりも属性原理を重視する集団主義など,日本の社会構造を特徴づける文化的特質の存在,終身雇用の慣行(終身雇用制)や年功序列的昇進と勤続年数を重視した年功賃金などの制度的特質(年功的労使関係),恩恵的な福利厚生制度(企業福祉),企業別に組織された労働組合と企業の枠のなかでの協調的な労使関係,などをあげることができよう。このような要因によって規定された労働者の企業意識は,労働者が労働組合に対してもつ組合意識と矛盾・対立することは少ない。…
…日本の労働組合は次の特徴をもっている。(1)一企業またはその企業に所属する事業所ごとに一つの組合がある場合が多い。…
…このうち〈その他の団体行動をする権利〉が争議行為をする権利,すなわち争議権をさすと解されている。
[争議権の意義]
労働者は,賃金労働時間その他の労働条件を維持・改善し,その経済的地位の向上を図るために労働組合を結成またはこれに加入する権利(団結権)を保障され,使用者またはその団体と対等な立場で交渉しその結果を労働協約として締結する権利(団体交渉権)をもつ。しかし,団体交渉が不調に終わり合意に達しない場合,あるいは労働協約が遵守実行されない場合には,交渉の進展を求めて新たに合意するまで,すなわち新たな労働協約が締結されるまで,あるいは労働協約が完全に実行されるまで,労働組合または争議団は労働の提供を拒否することができる。…
…労働組合は争議行為を行うが,労働組合を結成していない未組織労働者も一時的に集団を組み,使用者と交渉することができるし,またもし交渉が不調に終われば争議行為を行うことができる。この一時的な争議集団を争議団とよぶ。…
…そして20年代には新たに大企業と中小企業との間にいわゆる二重構造(とくに賃金格差構造)が成立し,重工業大企業では熟練工を企業内に確保するための年功賃金制(年功的労使関係)が成立し,また労働争議に対処して工場委員会制度による労働者の企業内組織化が進んでいった。それに対応して政府の労働政策も,労働組合を事実上公認してそれを取り締まる方向に転換してくるが,治安警察法の改正と同時に制定された労働争議調停法が,その母法となるべき労働組合法が成立せずに施行され,20年代後半に頻発する中小企業の労働争議に適用されながら,集団的労資関係の未成熟のまま警察行政と結びついた法外調停が主流となった点にみられるように,労働権の公認を基礎とする現代的労資協調体制は成熟しないで終わった。
[地主勢力の後退]
段階的変容の第3は,第1次大戦期の急激な農産物市場ならびに労働市場の拡大を契機にして農村へ貨幣経済が浸透し,一方で地主層の有価証券投資が進み,他方で自小作・小作農民の商品生産者化,兼業農業化が進み,それを背景にして20年恐慌後米価が低迷するなかで小作争議が広範に展開し,そのために地主採算が悪化して地主制が後退過程に入ったことである。…
…教育の面では,J.B.バゼドーやペスタロッチなどによって近代教育の基礎におかれ,政治の面では,フランス大革命の標語(自由,平等,博愛)ともなって,人権思想や近代民主主義の基本理念となった。 他方,社会的な制度としては,工業化の進展するなかで,同業組合や遍歴制度はしだいに廃れたが,しかし労働者・職人の間で友愛団体の伝統は存続し,労働組合の母胎ともなり,またさまざまな仲間団体として政治活動や社会活動の基盤となった。さらに高等教育の普及とともに,各種学生団体(たとえばドイツのブルシェンシャフトやアメリカのフラターニティのファイ・ベータ・カッパーなどが有名)を生んだ。…
…日本労働組合総連合会の略称で,民間と官公庁のおもな労働組合が結集する日本最大のナショナルセンター。1989年(平成1)結成。…
※「労働組合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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