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イッソスの戦 イッソスのたたかい

世界大百科事典 第2版の解説

イッソスのたたかい【イッソスの戦】

前333年秋,北シリアに進出したアレクサンドロス大王がイッソスIssos南方でダレイオス3世のペルシア軍と遭遇しこれを破った戦い。戦場の比定については現在のパヤス河畔,クル・チャイ河畔など諸説ある。索敵南下中のアレクサンドロスは背後に敵軍を迎えて不意をつかれたが,狭い海岸平地を活用して勝利を収め,ペルシア帝国完全征服への展望をひらいた。この戦闘を描いたポンペイ出土の床面モザイク画は著名。【大牟田 章】

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世界大百科事典内のイッソスの戦の言及

【アレクサンドロス[大王]】より

…しかし終始制海権を確保できなかった彼は,当初2年間,フェニキア諸市を拠点とする優勢なペルシア艦隊の海上反攻に背後を脅かされつづける。彼がペルシア帝国の完全征服にはじめて確信を得たのは,イッソスの戦の勝利(前333)とフェニキア諸市の服属によってであった。ダレイオス3世の講和提案を拒絶した彼は,エジプトを無血征服(前332)すると,翌春メソポタミアに進出,ガウガメラの戦(前331)に再び総動員のペルシア軍を破って同年末までにバビロン,スーサ,ペルセポリスを攻略した。…

【シリア】より

…ダレイオス1世の行政組織の中では,シリア・パレスティナはキプロスとともに帝国の第5総督領(〈川向こう〉)をなし,年貢として銀350タラントンを納めることになった。
[ヘレニズム・ローマ時代]
 アレクサンドロス大王とペルシア王ダレイオス3世との一大決戦が,キリキア平野の南部にあるイッソスの平野で行われ(イッソスの戦。前333),それ以後シリアはギリシア人の支配下に置かれた。…

※「イッソスの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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