デジタル大辞泉
「イッソスの戦い」の意味・読み・例文・類語
イッソス‐の‐たたかい〔‐たたかひ〕【イッソスの戦い】
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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イッソスの戦い
いっそすのたたかい
マケドニアのアレクサンドロス大王が紀元前333年11月、ペルシアのダリウス3世と初めて直接相まみえ、その大軍を撃破した戦い。結果は将来の帰趨(きすう)を決定した。ダリウスは敗走し、王母、王妃、王子、王女たちが捕虜となった。ダリウスは和議を提案したが、アレクサンドロスにより一蹴(いっしゅう)された。イッソスIssosは小アジア半島の南東付け根の位置にあった古地名。ナポリ博物館蔵の有名なモザイク大壁画(1831年ポンペイ出土)は、この戦闘の光景を描いたものといわれる。また、ドイツの画家アルトドルファーの作品も有名。
[金澤良樹]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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イッソスの戦い
イッソスのたたかい
Battle of Issos
前 333年 11月,マケドニアのアレクサンドロス3世 (大王)とアケメネス朝ペルシアのダレイオス3世の間に,現トルコのイスケンデルン湾沿岸のイッソス平原で行われた戦い。大王は巧みな用兵で大勝利を得,小アジアを確保し,アジア遠征を容易にした。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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イッソスの戦い
イッソスのたたかい
Issos
前333年11月,アレクサンドロス大王が,シリアの北西部イッソス河畔でアケメネス朝(ペルシア)の主力軍を撃破した戦争
ペルシア王ダレイオス3世は辛くも逃れたが,王母・王妃とふたりの王女は捕虜となった。アレクサンドロス大王によるシリア・エジプト征服への道を開いた。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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