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ウィッテルスバハ家 ウィッテルスバハけ Wittelsbacher

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウィッテルスバハ家
ウィッテルスバハけ
Wittelsbacher

10世紀頃からバイエルンを支配したドイツ貴族の家門。家系の由来は,シャヤーン伯が,1115年ウィッテルスバハ城に移ってから,城の名を取ってウィッテルスバハと称したことから始る。 1214年ラインファルツ伯領をも支配下に入れた。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典内のウィッテルスバハ家の言及

【バイエルン】より

…これによってバイエルンは東への発展の道を閉ざされ,内国と化した。次いでフリードリヒ1世は,1180年,名門ウェルフェン家のハインリヒ獅子公を追放し,ウィッテルスバハ家Wittelsbacherのオットーをバイエルン大公に任命した。同家は,前世紀の半ば以降バイエルンの各地で一円的な領域権力(ランデスヘルシャフト)の建設に乗り出していた新興貴族に属し,各地に勢力を張る大小の貴族と激しい競合関係にあった。…

【ブランデンブルク】より

…13世紀前半につくられた法書《ザクセンシュピーゲル》において,ブランデンブルク辺境伯は選帝侯の一人に数えられるにいたった。
[ホーエンツォレルン家の支配]
 1320年にアスカニア家が断絶すると,ブランデンブルクは帝国に帰属し,そのため,皇帝ルートウィヒ4世をつうじてウィッテルスバハ家(1324‐73)が,皇帝カール4世をつうじてルクセンブルク家(1373‐1415)があい次いでこの地の辺境伯の位を保有した。しかしこの両家の辺境伯たちはブランデンブルクに居住しなかったので,貴族や都市が独立化して領内の政治が乱れたばかりでなく,対外的にも,ラウジッツはボヘミアやザクセンに奪われ,ノイマルクは1402年ドイツ騎士修道会に売却された。…

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