ウィッテルスバハ家(読み)ウィッテルスバハけ(その他表記)Wittelsbacher

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィッテルスバハ家」の意味・わかりやすい解説

ウィッテルスバハ家
ウィッテルスバハけ
Wittelsbacher

10世紀頃からバイエルンを支配したドイツ貴族の家門。家系の由来は,シャヤーン伯が,1115年ウィッテルスバハ城に移ってから,城の名を取ってウィッテルスバハと称したことから始る。 1214年ライン=ファルツ伯領をも支配下に入れた。 1329~1777年バイエルン系 (1623年選帝侯) とファルツ系 (1356年選帝侯) に分離した。宗教改革の時代にルター派を押えて,ハプスブルク家と並んで対抗宗教改革運動 (→反宗教改革 ) を行なった。 16世紀末より 1761年までケルン大司教兼選帝侯位はバイエルン系によって独占された。ナポレオン時代にフランスと手を結んで領土を拡大し,1806年王の称号を得,1918年までバイエルン王国を統治した。

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世界大百科事典(旧版)内のウィッテルスバハ家の言及

【バイエルン】より

…これによってバイエルンは東への発展の道を閉ざされ,内国と化した。次いでフリードリヒ1世は,1180年,名門ウェルフェン家のハインリヒ獅子公を追放し,ウィッテルスバハ家Wittelsbacherのオットーをバイエルン大公に任命した。同家は,前世紀の半ば以降バイエルンの各地で一円的な領域権力(ランデスヘルシャフト)の建設に乗り出していた新興貴族に属し,各地に勢力を張る大小の貴族と激しい競合関係にあった。…

【ブランデンブルク】より

…13世紀前半につくられた法書《ザクセンシュピーゲル》において,ブランデンブルク辺境伯は選帝侯の一人に数えられるにいたった。
[ホーエンツォレルン家の支配]
 1320年にアスカニア家が断絶すると,ブランデンブルクは帝国に帰属し,そのため,皇帝ルートウィヒ4世をつうじてウィッテルスバハ家(1324‐73)が,皇帝カール4世をつうじてルクセンブルク家(1373‐1415)があい次いでこの地の辺境伯の位を保有した。しかしこの両家の辺境伯たちはブランデンブルクに居住しなかったので,貴族や都市が独立化して領内の政治が乱れたばかりでなく,対外的にも,ラウジッツはボヘミアやザクセンに奪われ,ノイマルクは1402年ドイツ騎士修道会に売却された。…

※「ウィッテルスバハ家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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