オーストリア・トルコ戦争(読み)おーすとりあとるこせんそう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

16世紀から17世紀にわたる戦争。ビザンティン帝国を滅ぼし、スレイマン1世のもとで極盛期にあったオスマン帝国は、1526年ハンガリー王ラヨシュ2世をモハチに敗死させ、その大部分を支配し、さらにハンガリー王国を相続したハプスブルク家と対立するフランスと結んで、29年ウィーンを包囲(第一次)した。その後も、オスマン帝国はハンガリー貴族を操り、ハプスブルク家に脅威を与える。ことに新教徒の多いトランシルバニアでは、反宗教改革の動きに対立して反ハプスブルク運動も激化した。ルイ14世の援助を受けてクルツの農民蜂起(ほうき)が起こると、オスマン帝国の宰相カラ・ムスタファは1683年大軍をウィーンに進め包囲(第二次)した。ポーランド王ソビエスキやドイツ諸侯の救援を得て反撃に転じたドイツ皇帝軍は、1686年ブダを占領し、オイゲン公の武勲に飾られてハンガリー全土を確保し、99年カルロウィッツの和約となった。

[進藤牧郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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