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ウィーン ウィーンWien, Wilhelm

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウィーン
Wien, Wilhelm

[生]1864.1.13. ガフケン
[没]1928.8.30. ミュンヘン
ドイツの物理学者。ゲッティンゲン大学,ハイデルベルク大学に学び,ベルリン大学で H.ヘルムホルツに師事した (1882) 。アーヘン工科大学教授 (96) ,ギーセン大学教授 (99) ,ウュルツブルク大学教授 (1900) ,ミュンヘン大学教授 (20) 。 1893年黒体放射について波長と温度の関係 (→ウィーンの変位法則 ) を発見。また放射線の波長分布の式 (→ウィーンの放射式 ) を導いたが,短波長側にしかあてはまらなかった。 J.レイリーの導いた長波長側にしかあてはまらなかった式とともに,のちのプランクの公式 (→プランクの放射式 ) への道を開いた。X線や陰極線カナル線の研究にも貢献した。 1911年ノーベル物理学賞を受賞した。

ウィーン
Wien

オーストリアの首都。英語ではビエンナ Viennaオーストリアを構成する九つの連邦州の一つでもある。オーストリア東部の盆地にあり,ドナウ川により南北に分けられる。古代ケルト人の砦に始まり,前1世紀にはローマの軍営地となり,3世紀には人口 1万5000~2万を数えた。1100年頃バーベンベルク家領となり,1137年に都市権を獲得。1156年にバーベンベルク家領オーストリアの首都となった。1288年以降はハプスブルク家領となり,特に 1558~1806年は同家の支配する神聖ローマ帝国の事実上の首都であった。その後 1867年までオーストリア帝国,1918年までオーストリア=ハンガリー帝国の首都として栄えた。歴史を反映して記念建造物が多く,特にゴシック様式バロック様式の建築や近代建築に優れたものが多い。ザンクト・シュテファン大聖堂ウィーン大聖堂。1304~1511,1952再建),マリアアムゲシュターデ聖堂(14~15世紀),聖ペテル聖堂(1702~33),ベルベデーレ宮殿(1714~23),シェーンブルン宮殿(17~18世紀),ホーフブルク宮殿(13,19世紀),近代建築の祖オットー・ワーグナー郵便貯金銀行(1906)などがある。音楽の都としても知られ,フランツ・ヨーゼフ・ハイドン,ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト,ルートウィヒ・ファン・ベートーベン,フランツ・ペーター・シューベルト,ヨハネス・ブラームス,ヨハン・シュトラウス,フランツ・レハールグスタフマーラー,リヒアルト・シュトラウス,アルノルト・シェーンベルクなど,ここで活躍した音楽家は非常に多い。またウィーン国立歌劇場ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団などの音楽団体も有名。オーストリア有数の工業都市で,電機,精密機械,化学,繊維など,各種の工業が発達し,州域をこえた大都市圏を形成している。2001年,中心部に広がる歴史地区が世界遺産文化遺産に登録された。面積 415km2。人口 171万4142(2011)。

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百科事典マイペディアの解説

ウィーン

オーストリアの首都で一州をなす。ウィーン盆地の北西にあり,市街の大半はドナウ川右岸,南は東アルプスの延長であるウィーナーワルトの丘陵地。ヨーロッパの学問・芸術の一大中心で,機械,電子,織物,化学製品,工芸品などの工業の中心,水陸交通の要地でもある。
→関連項目オーストリアシェーンブルン宮殿

ウィーン

ドイツの物理学者。ベルリン大学を出て1892年ヘルムホルツの助手として物理工業研究所に入り,1920年ミュンヘン大学教授。電磁光学から熱放射の研究にすすみ,黒体放射に関するウィーンの変位則(1893年),ウィーンの分布式(1896年)を発表。

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世界大百科事典 第2版の解説

ウィーン【Wien】

オーストリアの首都であるとともに,九つの連邦州の一つである。英語ではビエンナVienna。面積414.5km2,人口160万(1994)。古くは南ドイツからハンガリーへ向かう〈ドナウの道〉とボヘミアからイタリアへ向かう〈琥珀(こはく)街道〉が交差する交通の要衝であり,ゲルマン世界とスラブ世界を結ぶ文化上の交差点であった。
【地理的概観】
 ウィーンの森の東斜面が市の西部を緑の半月状にかこみ,東部にはドナウ川とその分流ドナウ運河が流れる。

ウィーン【Wilhelm Wien】

1864‐1928
ドイツの物理学者。東プロイセン,ガフケンの地主の一人息子として育つ。ゲッティンゲン,次いでベルリン大学に入学し,H.vonヘルムホルツの下で物理学を学ぶ。1886年光の回折現象に関する研究で学位を取得。青年時代のウィーンは家業を継ぐか学究生活に入るか,思い悩んでいたといわれるが,90年国立物理工学研究所の助手となり,照明,冶金などの産業技術を背景とする熱放射の研究に取り組んだ。92年熱電対を改良,95年空洞放射は黒体放射に相当するとの評価を与えて,放射測定実験を開始。

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大辞林 第三版の解説

ウィーン【Wilhelm Wien】

1864~1928) ドイツの物理学者。黒体放射の「ウィーンの変位則」および「ウィーンの分布則」を理論的に導き、プランクの熱放射理論の先駆をなす。

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世界大百科事典内のウィーンの言及

【オーストリア】より

…正式名称=オーストリア共和国Republik Österreich面積=8万3858km2人口(1996)=810万人首都=ウィーンWien(日本との時差=-8時間)主要言語=ドイツ語通貨=オーストリア・シリングAustrian Schillingオーストリアという呼称は英語名で,ドイツ語では,エスターライヒÖsterreich。〈東の国〉を意味するが,国土は,ヨーロッパの中央部を占め,ドイツはもとより,フランス,イタリアとも深くかかわりあい,ヨーロッパ史上,重要な位置を占めてきた。…

【特別市】より

…同様に隣接するオーストリアにも8州の主権国家の下に15の特別市が存在し,それらは州の下級行政庁たる郡の権能をあわせもっている。また,首都ウィーンは州と自治都市の地位をあわせもつ。韓国ではソウル特別市と釜山・大邱・仁川・光州・大田・蔚山の6広域市(もとは直轄市)があり,かつては自治権をもたなかったが,1991年以降地方自治に移行している。…

【ウィーンの変位則】より

…とくに黒体からの放射ないしは空洞放射では簡明な法則性があり,絶対温度Tの熱平衡状態では,(放射の単位体積につき)各波長λに対して単位波長幅当りの放射エネルギー(スペクトル密度)uT(λ)が最大となる波長λmTに反比例し,λmT=一定となる。これがウィーンの変位則である。右辺の定数は,光速c,プランク定数h,ボルツマン定数kという三つの基本定数で表され,(ch/k)/4.9651=2.8978×10-3m・Kである。…

【黒体】より

…熱放射に関するキルヒホフの法則を証明するための思考実験に当たり,1860年にG.R.キルヒホフ自身が想定した。以来,今日に至るまで熱放射に関する基本的な結果(シュテファン=ボルツマンの法則,ウィーンの変位則,プランクの放射則)はすべて黒体に対して定式化されている。しかし,その意義は実験研究の初期には認識されず,結果がばらつき,また理論との不一致がいわれる原因となった。…

※「ウィーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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