カリアスの和約(読み)かりあすのわやく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カリアスの和約」の意味・わかりやすい解説

カリアスの和約
かりあすのわやく

紀元前450年、ペルシア戦争終結を目的としてペルシアとアテネとの間に締結された和平条約。ディオドロスの伝えによると、キプロス島でペルシア軍がギリシア軍に大敗すると、ペルシア王アルタクセルクセス1世は、アテネに使節を送り和平を求めた。アテネはこれに応じ、アテネの金持ちカリアスCalliasを全権大使として送り、次の四つの事項が両国間で定められたといわれる。(1)アジアにあるギリシア人国家の自治の承認、(2)海岸より3日行程内のイオニアの諸市に対するペルシアの不干渉、(3)パセリス(小アジア)―ボスポラス海峡以西へのペルシア艦隊の侵入禁止、(4)アテネのペルシア領地の不可侵。しかし、本和約の内容のみか、はたして和約自体が存在したのか否か、古来伝承はまちまちでさだかでない。たとえば、トゥキディデスはこの条約についてなんら言及しておらず、前411年以後のギリシア史を著した歴史家テオポンポスはこれを偽作としており、今日でも、その信憑(しんぴょう)性を否定する人が絶えない。

[真下英信]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のカリアスの和約の言及

【アルタクセルクセス[1世]】より

…治世初期におこったエジプトの反乱は,アテナイがエジプトを支援したために長期化したが,スパルタに資金を提供してアテナイを牽制し,前454年に鎮圧。前449年のカリアスの和約により,アテナイとの関係を調整した。亡命してきたテミストクレスを王の友人として厚遇したことは有名。…

【カリアス】より

…オリュンピアの戦車競技で3度優勝,マラトンの戦で功を立てた。ペルシア戦争を終わらせ,ペルシア・ギリシア間の勢力範囲を定めた〈カリアスの和約〉(前449)の締結者として有名であるが,この条約の存在については古代から疑問視する学者もいる。外交的手腕はスパルタとの〈三十年和約〉(前446)やレギオン,レオンティノイとの同盟条約締結においても発揮された。…

【ギリシア】より

…テルモピュライの戦でスパルタ軍が玉砕し,アテナイはペルシア軍に占領されて焼かれたが,サラミスの海戦でギリシア軍は大勝を博し,クセルクセスはアジアに逃れた。翌前479年にはプラタイアイの戦でペルシア軍を破り,さらにキプロス遠征に勝利し,前449年〈カリアスの和約〉で小アジアのギリシア諸市の独立が認められ,ペルシア戦争は終結をみた。 この戦争は東方の専制君主制とギリシアのポリスとの対決で,ギリシアの勝利はポリス的自由の勝利を意味した。…

【ペルシア帝国】より

…続くアルタクセルクセス1世の治世前期にエジプトが反乱を起こし,アテナイと結んでペルシアに抵抗した。しかし,前454年に反乱は平定され,ペルシア戦争以来続いたアテナイとの敵対関係も〈カリアスの和約〉(前449)によって一応の解決をみたので,帝国の平和は維持された。 中央集権体制の弱体化はダレイオス2世のもとに醸成され,アルタクセルクセス2世の時代に明らかになった。…

※「カリアスの和約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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