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シャープール[2世] Shāhpuhr II

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世界大百科事典 第2版の解説

シャープール[2世]【Shāhpuhr II】

?‐379
ササン朝ペルシア第10代の王。在位309‐379年。ホルミズド2世の子。幼少にして即位し,はじめ母后が大貴族の協力を得て政治をみた。国境を荒らしていたアラブを平定したのち,ナルセー時代(298)にローマに奪われた西部諸州の回復をめざし,まずアルメニアの内紛に乗じて同国を占領した。これが原因となって,337年にローマとの間に長期にわたる戦争が開始された。当時,ローマはキリスト教を保護し,アルメニア王も改宗政策を進めていたので,これに対抗してシャープール2世は339年からキリスト教迫害を開始した。

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All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内のシャープール[2世]の言及

【ササン朝】より

…3世紀初めころ,ササンの子パーパクPāpakがイスタフルの王となり,パーパクの子アルダシール1世のときに,イラン南部からバビロニアに進出して224年にアルサケス朝のアルタバヌス4世を敗死させ,首都クテシフォンにおいて新しい帝国支配を開始した。第2代のシャープール1世は対外的発展につとめ,西方では3度ローマ軍を破り,東方ではクシャーナ朝を併合し,シル・ダリヤ地方まで勢力を拡大した。ササン朝はもともとイランの伝統的な聖火崇拝に熱心であったが,シャープール1世は寛容な宗教政策をとり,そのため新興のマニ教は急速に教勢を広げることができた。…

【スーサ】より

…首都の建設はさらに規模を拡大してペルセポリスに移り,前4世紀末のギリシア人の侵入以後はスーサは商業都市として,ササン朝ペルシア下では絹の産地として栄えた。シャープール2世が4世紀中葉にキリスト教徒の反乱を防ぐ目的で住民を殺害し町を破壊して廃墟となったが,イスラム化とともに再び商業活動が盛んになった。しかし13世紀にモンゴル族の侵略をうけて決定的に破壊された。…

【ヨウィアヌス】より

…363年帝が戦死すると,軍によって皇帝に推された。彼は直ちにペルシア王シャープール2世と屈辱的な講和を結び,ディオクレティアヌス帝以来獲得したローマ東方領をニシビス,シンガラ両市を含めて割譲した。コンスタンティノポリスへ帰還する途中,ダダスタナで死去した。…

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