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シュレジエン問題 シュレジエンもんだい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シュレジエン問題
シュレジエンもんだい

ポーランド西部国境のオーデル=ナイセ線以東の旧ドイツ領シュレジエン地方の帰属および同地方のドイツ系住民の権利保護をめぐる諸問題をいう。 1945年2月のヤルタ会談ではポーランドに編入されることが決定したが,同年8月のポツダム協定では西部国境の最終的確定は保留された。東ドイツは 50年のゲルリッツ条約で国境を確定したものの西ドイツは 70年 12月のワルシャワ条約では領土不可侵と国境を確認するにとどまり,条約上の国境確定はドイツ統一後の 90年 11月の国境確定条約において初めてなされた。第2次大戦後故郷を追われたシュレジエン出身者はシュレジエン郷友会などを組織,シュレジエンの領有を主張しドイツ国内の右翼勢力と結びついて政府に圧力をかけ,またポーランド国内のドイツ系住民への経済的支援を続けた。 91年6月の独ポ善隣友好条約で,ポーランドは初めて公式に国内のドイツ系住民の存在を認め,その文化,伝統保護を約し,両国間でこの問題について一応の解決をみた。

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