ワルシャワ条約(読み)ワルシャワじょうやく(英語表記)Warsaw Treaty

精選版 日本国語大辞典 「ワルシャワ条約」の意味・読み・例文・類語

ワルシャワ‐じょうやく‥デウヤク【ワルシャワ条約】

  1. 一九五五年五月、ソ連ポーランド東ドイツハンガリールーマニアブルガリアアルバニアチェコスロバキアの間で調印された友好協力相互援助条約。個別的・集団的自衛権行使とともに、統合軍司令部を設けて加盟国の軍隊をその指揮下に入れることを内容とする。アルバニアは後に脱退。一九九二年解消。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワルシャワ条約」の意味・わかりやすい解説

ワルシャワ条約
ワルシャワじょうやく
Warsaw Treaty

1955年5月 14日ポーランドのワルシャワで調印されたアルバニア,ブルガリア,ハンガリー,東ドイツ,ポーランド,ルーマニア,ソ連およびチェコスロバキアの間の友好,協力および相互援助条約。 68年にはアルバニアが脱退。西ドイツの再軍備とその北大西洋条約機構 NATOへの加入を直接の動機としてソ連が東ヨーロッパ諸国との団結強化のために結ばれ,55年6月6日に発効した。この条約は前文と本文 11ヵ条から成る。第4条で各締約国は国連憲章第 51条に従い,自衛権の行使として,攻撃を受けた国に対し即時援助を与えると武力攻撃に対する共同防衛を規定している。この条約に基づいて締約国の軍隊を指揮下におく東ヨーロッパ統一軍が設けられた。 68年8月チェコスロバキアにおける民主化運動の波及を懸念,ソ連のイニシアチブで東ドイツ,ハンガリーなど5ヵ国軍が共同でチェコスロバキアに軍事介入し,民主化運動を武力で弾圧。 89年の東欧諸国における民主化革命で共産党政権が相次いで崩壊した結果,同条約機構の存在理由がなくなり,全加盟国の合意により 91年7月1日すべての政治・軍事機構が廃止・解体された。

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世界大百科事典(旧版)内のワルシャワ条約の言及

【航空事故】より


[事故の賠償]
 国際線を運航する航空機の事故によって発生した損害に対する賠償については国際間に取決めがある。まず,1929年のワルシャワ条約(114ヵ国が批准)で旅客の死亡については1人当りの支払限度額が12万5000フラン,手荷物の損害については1人当り5000フランと決められ,次いで55年のハーグ条約(98ヵ国が批准)で旅客の限度額が25万フランに引き上げられた。その後,66年に世界の主要航空会社間で結ばれたモントリオール協定によって旅客の限度額は再び7万5000ドルに増額され,これが先進国の標準となったが,81年になって日本航空と英国航空のみはさらにこれを10万SDRに引き上げた。…

※「ワルシャワ条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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