日本大百科全書(ニッポニカ) 「テレンツ」の意味・わかりやすい解説
テレンツ
てれんつ
Joannes Terrenz
(1576―1630)
スイスのイエズス会士。北スイスのコンスタンス(現、ドイツのコンスタンツ)生まれ。改名前はシュレクJ. Schrek。中国名は鄧玉函(とうぎょくかん)、字(あざな)は涵璞(かんはく)。医学・天文学・哲学・言語学などの分野に博識であり、アカデミア・デイ・リンチェイ会員になり、ガリレイと親交があった。1611年イエズス会に入会。1618年リスボンを出発、1621年中国に至り、中国語を学んで杭州(こうしゅう)を経て北京(ペキン)に住んだ。1629年明(みん)朝の崇禎(すうてい)帝(毅宗(きそう))の命で改暦事業が始まると、徐光啓の推挙を得て事業に参加、暦書の編修、天体観測機器の製作などを行ったが、翌1630年病没した。死後に完成した『崇禎暦書』中には『大測』ほかの彼の編訳書が含まれている。
[内田 謙 2018年2月16日]