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デ・ロング De Long, Charles E.

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

デ・ロング
De Long, Charles E.

アメリカの外交官。炭鉱夫出身。明治2 (1869) 年アメリカ大統領 U.グラントから駐日弁理公使に任じられ来日,次いで特命全権公使となり 1873年まで在職。鉄道建設をめぐってイギリス公使 H.パークスと対抗,また日本外務省に国際法学者の雇い入れを勧告した。

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朝日日本歴史人物事典の解説

デ・ロング

生年:生没年不詳
アメリカの州政治家,明治初期の駐日公使。ニューヨーク生まれ。若いとき金鉱熱にわき返るカリフォルニアへ行き,鉱夫などをして働く。やがて政界へ乗り出し,州議会下院議員,次いで上院議員になる。1863年新しい鉱区の開かれたネバダに移住,同州から連邦議会上院議員へ2度立候補して落選。正規の教育はほとんど受けず独学で弁護士資格取得。グラント政権誕生への尽力に対する報奨として,1869年4月駐日弁理公使に任命され,明治2(1869)年9月着任。1870年7月14日付で特命全権公使に格上げされ,ヨーロッパ列国の代表と同格になる。が,公使館の職員は依然たった1名のオランダ人通訳官だけ(旧鉱夫仲間を秘書として連れてきたが国務省の認可を得られず解雇)で,その通訳官をいがみ合いの果て免職にしたときなどは,しばらくひとりで文書作成に追われる。そんな悪条件の下,列国協調の基本方針に従いつつも,あらゆる機会を捕らえてアメリカの勢力拡大を図り,維新の混乱に伴う幾多の対日求償案件は疑わしいものまで次々と提起し,支払いを迫った。4年7月ハワイ王国特命全権公使として日本ハワイ修好通商条約を締結。同年11月から翌年へかけ岩倉遣外使節団に同行して賜暇帰国,条約改正の協議にあずかる。1872年8月初めに甥を公使館書記官として伴い帰任。マリア・ルス号事件への介入,台湾征討計画への共鳴と厦門領事リジェンダー売り込みなどで完全に国務省の信用を失い,6年グラント政権の2期入りを機に召還の断が下され,11月20日離日した(甥も無教育が知れて解任)。

(廣瀬靖子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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